2017年8月9日水曜日

新撰 皿屋鋪弁疑録 巻之弐 青山主膳更屋敷拝領之事 並同人盗賊改御役之節粂平内兵衛を召抱御事

見覧を希のみ
 宝暦八
  戊寅年陽春 武江隠士 
          馬文耕選

新撰 皿屋鋪弁疑録

巻之弐
 青山主膳更屋敷拝領之事
 並同人盗賊改御役之節粂平内兵衛を召抱御事

然程に番町天樹院殿御悪行日ゝ夜ゝに止事なく
件の竹尾といへる女も終に命をと[り][て]花井か死體を
捨し井戸のうちへいつしよに打込捨給ふ其後寛永の初
天樹院殿薨去なされしかは右御守殿をこぼち玉ひて空
地の更屋敷となる其屋敷に件の井戸これあるに小雨降
夜半になり給へは右の井戸より青く光る日燃立消てはもへ
あかる事度/\なり往来の人是を見て大きにおとろき
後には誰しらぬ者もなく妖怪屋敷といひ傳へ天樹院殿
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御守殿跡化粧のもの住居なりた[り]て牛込の内はん町の
結構なる屋舗なりといへとも誰有て拝領せんと申人も
なかりし[が]段ゝ江戸明地等も少くなりけるに付武家の拝領
屋敷これなきにつきて御旗本衆の内にて三人分に
右屋敷下さ[れ]けれとも彼井戸の有し近所の何れも
頂戴する人なかりけり後秊井戸も潰れて家居
たち込しにしたかひて化粧のさたも遠さかりし[所]
その頃道三河岸を持て居られし御旗本衆屋敷
御用に付召上られ松平肥後守殿下さ[れ]しに付道三
河岸に居られ候御旗本衆へ代地所/\にて下され
其御旗本衆の内に御先手[組]勤められて千五百石

青山主膳といへる人有けるに件の御守殿跡の古井の
埋し近所七百坪程くだされける青山爰を拝領して頓て
普請にとりかゝり[て]成就して親妻等を引具し一家
中不残引越扨又屋敷うち家中用水のため井戸を
[堀]らせけりこの井戸こそ後に菊を殺し入し井戸也
今に菊か井戸と云傳ふ井は是なり誠に如何成因縁にや
[以]前屋敷の有し天樹院殿にてさら屋しきの名をこふ
むり竹尾と花井をころし井戸へ埋め後年
此屋敷之主又も井戸へ入て末世に皿屋敷と名を上し
こそ不思議の因果のなす所なるべし斯て青山主膳は
其頃盗賊改め奉行をこふむり此青山と云人至て
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不仁不義の人にて大酒を好て下をいたはる心なく悪しく
奉行改人かりそめにも不仁の行ひある時は町人百姓なげき
いくばくぞや誠に公義へ対して不忠至極といふへし
されは青山主膳は組中与力同心に急度申付けるは御
奉公随一の事なれは罪人多く召し捕候へと呉ゝ申付る
なり凡天下には罪人無きを以て仁政の所とすべきに
青山殿か申付如何成天盲千万なる事そかし夫ゆへに
組子の人ゝは夜廻り等いたし[明]ては壱人なり共罪人
をとらへ行時は青山殿殊之外機嫌よ[く]酒をのませ我も
楽しみまた壱人もとらへずに縄付をも連ゆかざる
けれは以之外機嫌あしく盗賊火付の多く

有べきに各/\にふ精故とらへ来らず大方夜回りはせず
して宵より休みめされつらん抔と呵りし故組呼は頭の
機嫌にいらんとて後には咎なき者もあやしきものとて
無態に縄かけつれゆくは殊の外悦ひ捕らへそこなひは
少しもくるしからすとの上意をもつて相勤る所
なればとて咎なき者を多く牢内へ入置其者をいろ/\と
せめたゝき是を肴として大酒を好みける也扨其後
浪人ものに久米平内兵衛と云者有今浅草に石像
にして久米平内兵衛像有この者は剣術取手上手
にて日本廻国武者修行せし手業の有もの也
とて左様の者こそ召抱へ置あるへしとて彼平内
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兵衛を召しかゝへて用人格にてさし置けるこの平内は
腕骨達者にて力量勝れ太刀打の手内勝れたれば
御仕置の罪人打首のもの手前好み願ひて切申度由
奉て申ける故に青山大に感し誠に予か家来程有[て停]
勇気の願ひ尤千万也某新身をこのめば其こゝ
ろみの為にも成とて重宝成望の通り以来は死罪の者の
太刀取にせんとて重ねて公義御仕置人の人切いたし役に
この久米平内兵衛を致されせり是は死罪人斬罪人を切る
は非人の役なりしに青山主膳のせつ初て人切といふ
者出来て当御代まて段/\其役これ有近世山田
浅右衛門の役にて名も高かりしそかし根元久米

平内兵衛也青山殿御役之内に平内兵衛は千人塚弐度[建]たり[と]
云千人塚は仕置人の首千人切て其印の塚を供養するとなり
夫を弐度建て其後も数人を切たると也其頃は武家末剛
卒にて大小の神祇組とて男達流行せし頃にて平内兵衛も
大小の神祇組の中に列して辻切抔も夥敷(オビタゝシク)人を殺す
事を何ともおもはぬ不敵ものなり
 近来山田浅右衛門多くの人をきりて千人塚を麻布善福寺へ
 建たり今の世の人の見る所明ら[け]し今は古人也この
 山田浅右衛門も死にきはりんじうの節山田か枕もとへ多くの
 首あらわれ出しと云何程公儀の役なりと云共むくひ
 なきにしもあらず
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此平内兵衛或時大勢の死罪人有し時牢屋にて打首する時罪
人共居并て申は我今首をきらるゝに向ふの草へ喰付て[み]せんと
訇り有頓て平内切しに案の如く草へ食付て無念の程をあらはす
今壱人の云く我は向ふの大石へ食付んと云果して切に左の如くなす
今壱人は恐しくも切らは人切の粂殿の顔へ喰付んと云平内も
気味悪く此者一念にて如何にも喰付べし然れ共其一云に恐れ
止されもせず人ゝのみる所も有て平内は思案して頓て罪人に向ひ己れ
今こそさいごなれかくごせよと申けれは如何にも心得たり汝が
顔へ喰付んと一念こらせし所を出しぬいて刀のむねにて
壱ツ打ければ件の罪人是はとふりむく所をとたんの
拍子に向ふ気をぬひて切ける由へ何の苦もなく首打

落しけり此段平内が工夫の第一なりとかやケ様にいたさずば此者一念
にて顔へ喰付へくを平内か気てん働其道のかしこき事不思義
なりと世上にて沙汰しけると也主人主膳是を聞ていよ/\粂を
寵愛しけると也平内一生の悪事おびたたしく終に病死して
彼か一子の夢にひたとみへて我一生の悪事故未来の呵嘖
ひまもなく然て某か業のめつするよふに我を人立多所に其
罪をさらし生る折からの姿を石像に刻みて万億の人往来に
さらし是然らは罪もめつし未来の為にもならんと度/\
夢中に来りし故其倅これを曽みて石像をきざませ人立
の場所なれはとて浅草観音境内に是を立[ゝ]置わざ/\ぬれ
ぼとけの如く露霜にうたせて未来の罪を免とせしに
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後には何者か是を尊敬して根元の子細弁ずして今は呉服の
茶屋とも此佛あらたなりとて大かた何にても成就するとて
信仰の余り祠を建安置しけり誠におかしき人心哉久米が
倅も夢亡像をまことゝして親の悪名を末世に知らせんと
如何にするは子は親のためにかくす直き事其中に
ありといふ聖人の教語をしらざるふ孝とみへたり
其父不義なればその子暦然の道理なるへし
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早稲田大学図書館古典籍総合データベース

ラフカディオ・ハーン『怪談』 Diplomacy(駆け引き)』の原話について
(怪談皿屋敷実録本 粂の平内兵衛と山田浅右衛門の逸話)