2017年8月31日木曜日

旧雑譬喩経 (19) 象の足跡 康僧會 訳

旧雑譬喩経 康僧會 訳
(19)象の足跡
 昔、師の元で道を学ぶ二人の者がいた。二人は一緒に他国へと旅立った。二人が道を歩いていると、象の足跡があった。
 一方がこれを見て、「この象は母象で、雌の子象を妊娠している。そしてこの象は一方の目が見えない。それからこの象の上には女の子を妊娠した女性が乗っている。」と言った。
 もう一方が言った。「君はどうしてそんなことが分かるんだ?」
 すると相手は、「あれこれと考えを巡らせたので分かったんだよ。僕の言うことが信じられないなら、先を急いで見てみよう。」
 二人一緒に象の所までやって来ると、全て悉く先に言った通りだった。そしてその後には、象も女性も赤ん坊を産んだ。
 一方は自省してこう考えた。「僕たちは一緒に師の元で学んだのに、僕だけ肝心要となるものが見えなかった。」
 その後国に帰ってから彼は師にこう言った。
「私たちは二人して出かけて行きましたが、彼は、象の足跡を見ただけで、いくつかの肝心要となるものを見分けました。しかし私はそれを見分けることができませんでした。お師匠様お願いです。もう一度道をお教え下さい。私の物の見方には、大変な偏りがあるのではないでしょか?」
 そこで師匠は、もう一方を呼んで問い質した。
「どうやって、その事が分かったのかね?」
 彼はこう答えた。
「それは、お師匠様が常日頃説いておられることをしただけです。私は、象の小便の跡を見て、これは雌の象だとわかりました。右足の足跡が地面に深く踏み込まれていたので、雌の子を妊娠しているのも分かりました。道の右側の草が荒れていないのを見て、右目が見えないのを知りました。それから、象が立ち止まった場所に小便の跡があるのを見て、それが女性のものだとわかりました。その右足の足跡も地面に深く踏み込まれていたので、この女性も女の子を妊娠しているのが分かりました。つまり私は事細かに物事を考えるというお師匠様の教えを実践しただけなのです。」
 すると師匠が言った。「学問とは、色々と思い巡らせて考えることである。一生懸命探求すれば答えは出る。しかし深く考えなければ答えは出ない。私の教えが間違えていたわけではないのだよ。」
(日本語訳 Keigo Hayami)

舊雜譬喩經 (No. 0206 康僧會譯 ) in Vol.04
T0206_.04.514a29: ~ T0206_.04.0514b14:
(一九)昔有二人從師學道。倶去到他國。於道
路見象迹。一人言。此母象懷雌子象一目盲
象上有一婦人懷女兒。一人言。爾何知。曰
以意思知也。汝不信者。前到當見之。二人
倶及象悉如所言。至後象與人倶生。如是一
自念。我與倶從師學。我獨不見要。後還白
師。我二人倶行。此人見一象迹。別若干要
而我不解。願師重開講。我不偏頗也。師乃
呼一人問。何因知此。答曰。是師所常道者
也。我見象小便地。知是雌象。見其右足踐
地深。知懷雌也。見道邊右面草不動。知右
目盲。見象所止有小便。知是女人。見右足
踏地深。知懷女。我以纖密意思惟之耳。師
曰。夫學當以意思惟。乙密乃達之也。夫簡
略者不至。非師之過也
SAT大正新脩大藏經テキストデータベース

(19)昔、師に従い道を学ぶ二人有り。倶(とも)に去って他国に到る。道路に於いて象の跡を見る。一人が言う。此は母象にて雌の子象を懐(はらみ)、一目は盲にて、象の上に女児を懐(はらむ)一婦人有り。一人が言う。爾(なんじ)何ぞ知りたるやと。曰く意を以て思う也。汝、信ぜざれば。前(さき)に到り当(まさ)に之を見るべし。二人倶(とも)に象に及び悉く言う所の如し。後に至り象と人倶(とも)に生めり。一(ひとり)は自念(じねん)して是(かく)の如し。我と倶に師に従い学びしが。我独り要を見ず。後に還り師に白(いわ)く。我ら二人倶に行く。此の人、象の跡を一見し、若干の要を別つ、而して我は解せず。願わくば師、重ねて講を開かん。我、頗る偏らず也。師、乃ち一人を呼びて問う。何に因りて此れを知るかと。答えて曰く。是、師の常の道の所也。我、象の小便を地に見て。是、雌象と知る。其の右足の踏むは地に深し。雌を懐(はらみ)たるを知る也。道の辺の右面の草の動かざるを見て。右目の盲を知る。象の止まる所に小便有るを見て。是を女人と知る。右足の地深く踏むを見て。女を懐(はらみ)たるを知る。我、繊密に意を以て之を思惟するのみ。師曰く。夫れ、学は当に意を以て思惟すべし。乙を密にすれば乃ち之に達する也。夫れ、簡略は至らず。師の過ちにあらざる也。

2017年8月30日水曜日

文の助の落語 象の足跡 文の家文之助 述

大阪落語叢書 文の助の落語 文の家文之助 述
三芳屋書店 大正4 1915

象の足跡

 一寸(ちよつと)一席間(せきあひ)の楔子(くさみ)に西洋のお話を伺ひます、落語も沢山(たんと)ござりますが西洋のお話は余りやる者がござりません、西洋の話ですから日本語に訳し申上げます、日本のお話はお臍が宿替をするやうな面白味がござりますが西洋のお話は只だ理屈でござりまして日本のお話ほどお笑ひが多うござりません、併(しか)し西洋まで旅費を使ふて話を聞きに行く事を思ふたら日本へ取寄せて聞けば誠に安いものでござります、安い物と化物とはござりません、何(ど)うぞお買被りのないやうに聴いて戴きたうござります、さて所は墺太利(オースタリー)の国で冬向(ふゆむき)の事でござります、雪が五六寸も積つてござりまして一面の銀世界、矢張り雪が降りますと日本でも写真屋さんは勉強致しまして景色(けしよく)の宜しい所を写しに参ります、殊に西洋(あちら)は写真の本家(こちと)でござりますから写真屋は尚更勉強をして銀世界を写しに参ります、今や風景の佳(よろ)しい所を写さうと写真機械を組立て居(を)りますと其前に象の足跡が雪の中にポカ/\あります、オイ落語家(はなしか)宜(ゐ)い加減な事を云へ、象と云ふものは熱国(ねつこく)には居(を)るけれども寒国(かんこく)には居(を)らんものぢやとお咎めもござりませうが、其国で生れんでも他の国から来て居(を)ります、日本でも生まれませんが熱帯国から連れて来て動物園などへ参つて居(を)ります、左(さ)れば之れも他国から参つたものと見えます、すると其の雪の中の象の足跡をば七十近い赤髭を生はした爺さんが物指(ものさし)を持つて指し居(を)ります、写真屋は爺が前を迂呂(うろ)つくものだから呟(ぼや)いて居ります、
 写『怪体(けつたい)な爺やナ、ジツとしてたら一緒に写してやるのに、何をして居(を)るのや、象の足跡を指して居(ゐ)るぞ、妙な事をしよるナ、ハヽア見た事のあるやうな爺さんや、成程見た筈や、究理学の大先生や、究理学の先生が象の足跡を指して居(ゐ)るとすると何か変つた事があるに違ひない、一度聞(ぺんき)いて見てやらう・・・・・・先生々々(/\)』
 先『オ、誰(たれ)かと思ふたら写真屋の大将かナ、チツト写したかナ、冷たいのに御熱心ぢやナ』
 写『先生も亦(また)象の足跡を指してござるが、何をさるので』
 先『この愉快はお前達には分らん』
 写『へー、妙な楽みがござりますナ』
 先『お前は斯(か)う云う銀世界の風景の佳(よ)い所を写すのが愉快なら、私は理学が専門ぢやから象の足跡を指して訳の分らん所へ理に理を付けて考へるのが私の楽みぢや、象の足跡を指して此象は何(ど)う云ふ格好で雌か雄か事細に分るから愉快ぢやないか』
 写『先生、写真は機械があつて薬を使ふから写るに決つて居(を)りますが、象の足跡を指して何(ど)う云ふ格好と云ふ事が分つたらさぞ愉快な事でござりませう、間違なく分りますか』
 先『ア、分るとも』
 写『そんなら此象はドンナ象・・・・・・』
 先『僕の思ふのに此象は雌ぢやナ』
 写『ヘーイ、雌と雄(をん)と足跡が違ひますか』
 先『イヤ足跡は一緒ぢやが、理学から攻めるとコリヤ何(ど)うしても雌ぢワイ』
 写『ヘイ/\成程』
 先『お負に此象は片眼(かんち)ぢや』
 写『仕様もない、ウダ/\云ひなはんナ』
 先『イヤ/\、確に左の眼が悪い』
 写『ヘイ、ソンナ事が分りますか』
 先『フム分る、夫(そ)れから此象は懐胎(はらぼて)ぢや』
 写『懐胎(はらぼて)・・・・・・』
 先『腹の中に子を宿して居(を)る、其子は雄(をん)ぢや』
 写『へヽヽヽ、先生の山子(やまかん)には恐れ入りましたナ、人間の懐胎(はらぼて)でも男の子か女の子か分らんのに象の足跡を見て雌(めん)で懐胎(はらみ)で腹の中の子が雄(をん)やなんて、阿呆らしい、ハツタリ(ヽヽヽヽ)を食はしてもアカン』
 先『ハツタリ(ヽヽヽヽ)とは何(ど)うぢや、理学上から攻めると分るから愉快ぢやないか、お負に此象は婦人が追ふて来た・・・・・・』
 写『ヘー、女が追ふて来た』
 先『疑ふなら此象の足跡を探つて行つたら分る、足跡の仕舞の所に象が居(を)るに違ひない、其所(そこ)で一ツ調べたら何(ど)うぢや、僕の云ふた事が万が一違ふたら此白髪首(このしらがくび)でも・・・・・・と云ひたいが西洋人だから赤髪首(あかゞくび)でもお前に上げやう』
 写『ヤア面白い、先生の云ふた事が間違ふたら首をお呉(く)んなはるナ』
 先『ア、安い事ぢや、何時(いつ)でもやる』
 写『そんなら行きませう』
と物好な写真屋で機械を担(かた)げて付いて来る、右の先生は先に立ちまして象の足跡を探り/\参りますと一軒の家があります、内方(うちら)へ入つて来(く)ると五十位の男が台所で火を焚いて温(あた)つて居(を)ります、写真師は、
 写『チヨツト伺ひます』
 男『ハイ、何ですナ』
 写『お宅に象が居(を)りますか』
 男『象は居(を)ります』
 写『何所へ参りました』
 男『今用達(いまようたし)に行つて帰りまして、裏の小屋に繋いであります』
 写『ヘーイ、お家(うち)の象は雄(をん)ですか雌(めん)ですか』
 男『家(うち)の象は雌(めん)です』
 写『ヘー、雌(めん)ツ・・・・・・』
 男『貴方(あんた)眼を剥いてなさるナ』
 写『若しや懐胎(はらみ)やおまへんか』
 男『エライ事を云ひなされた、如何にも懐胎(はらみ)ぢや、子を宿して居(を)ります』
 写『是れは恐れ入つた、腹の中の子は雄(をす)ですか雌(めん)ですか』
 男『ソンナ事は分りませんヨ、生れて見んと、腹の中には確に子を持つて居(を)るには違ひござりません』
 写『此象は片眼(かんち)ですか』
 男『こりや感心、左の眼が悪うござります』
 写『フーム、如何にも恐れ入つた・・・・・・・・・・・・先生々々(/\)』
 先『何(ど)うぢや写真屋さん、合ふたかナ』
 写『カカラの感心、ビビラの吃驚(びつくり)、先生の仰しやる通りです、只だ一ツだけ腹の中の子は雄やら雌やら生んで見んと分らんと申して居(を)ります・・・・・・・・・・・・モシ此象を追ふて帰つたのは婦人だと思ひますが、女ぢやありませんか』
 男『ハイ、家(うち)の娘が追ふて帰りました』
 写『ます/\感心、御主人、其娘さんは途中で小便をしませなんだか』
 男『此人等(このひとら)二人は何を尋ねに来たのぢや、家(うち)の娘かて小便がしたうなつたら仕(し)ますやろうかい・・・・・・娘や、其方(そなた)途中で小便をしやせなかつたか、仕(し)たらしたと云ひなされ・・・・・・羞(はづか)しがる所を見ると仕(し)たやうです』
 写『ヘーイ、先生、何(ど)う云ふもので斯(か)う云ふ事が詳しい分りますので』
 先『此象の足跡を指して考へて見ると、左の足跡の深さが三寸ある、右の足跡が一寸五分しかない、左の方の足跡が深い、左の足跡が深いから跛(ちんば)で雌(めん)で左腹だ、男の子は左へ宿す、女の子は右へ宿す、左の方に子があるから左の足跡が深い、右に子がないから足跡が浅い、と斯(か)う鑑定を付けたのぢや』
 写『夫(そ)れでは片眼(かんち)と云ふのは何(ど)う云ふ訳で』
 先『象と云ふものは我身体(わがからだ)が重いから道を歩く時でも左右をコツ/\叩いて歩く、叩いて見て若しメキツとでも云ふたら幾ら追ふても歩かん、夫れが右の方ばかり叩いて居(ゐ)るから左の眼が片眼(かんち)ぢやわい』
 写『ヘーイ、エライ事が分かりますナ、女が追ふて来たと云ふのは・・・・・・』
 先『此の婦人が小便をしてから分つたのぢや』
 写『ヘー成程』
 先『小便の形が後にあつて、足形が逆様に付いてあるわい』



国立国会図書館デジタルコレクション

2017年8月29日火曜日

落語全集 中巻 仏馬 金園社 今村信雄編


仏馬(ほとけうま) [マクラ] 後生うなぎ(ごしょううなぎ)

 「過ぎたるはなお及ばざるが如し」ということがありますが、まことにいい戒めでございます。馬喰町(ばくろちょう)にお住居(すまい)なさるある隠居さんがたいそう信心家で、したがって慈善を施し殺生ということを嫌いまして、蚊に刺されようが、のみに食われようが、決して殺しません。浅草観世音(あさくさかんぜおん)が信仰で、日参(にっさん)をしていらっしゃる。
 ちょうど四万(しまん)六千日、観世音の大割り引き、世の中にこのくらいの大割り引きはありません。一日お参りをすると四万六千日お参りをしただけの利益(りやく)があるという、仏体こそ一寸八分だが、さすが十八間(けん)四面の堂へ住まって、大きく暮らしているだけに知恵がありますから客を取ることは上手でございます。
 この隠居さん日参をするくらいゆえ今日はなおさらのこと、お参りをして帰りがけ、蔵前通(くらまえどお)りを天王橋のそばまで来ると、このごろ店を出したうなぎ屋、ふだんは気がつかなかったが、さすが紋日(もんぴ…特別な行事のある日)でお客があるとみえ、団扇(うちわ)の音をさせているので、隠居さんヒョイと見ると亭主が裂台(さきだい)へ上がって、今すでに目打ちを立てようとするからおどろいて、

隠「アアコレコレなにをするんだ」
亭「いらっしゃい、お上がんなさい」
隠「なにがお上がんなさいだ、おまえなにをするんだ」
亭「ヘェうなぎを裂いて蒲焼にするんで」
隠「では、うなぎを殺すのか」
亭「さようでございます」
隠「かわいそうだ、物の命を取ってそれを食えばどうなる」
亭「どうなるってお客さまのご注文だから、こしらえるんでございます」
隠「客という奴が心得ちがいだな、他に食い物がないわけじゃァなし、殺生をしないからってイモでもニンジンでも食ったらよさそうなものだ」
亭「そんなことをいった日にゃァ、わしどもの稼業になりません」
隠「稼業になってもならないでも俺の目にとまった以上は、どうして殺させるわけにはゆかない、俺が助けてやる、観世音参詣の帰り道、俺の目についたのは助けてやれという観世音のお導きだ、しかしただ助けろとはいわない、他の客にも売るものだから、俺もそれだけの金を出したら売ってくれるだろう」
亭「さようでございます。それはもうどなたに売るのも同じことですからお売り申してもよろしゅうございますが、なにしろ不漁続きでおまけに今日は四万六千日で、ばかなはね方をしておりますから、ちっとお高(たこ)うございますが……」
隠「高いといっても千両はしまい」
亭「エー千両はいたしません、おまけ申して二分でございます」
隠「安いものだ、じゃァ二分わたすよ」
亭「ヘエどうもありがとうございます、入れ物がなくっちゃァお持ちになれませんから、こわれていますがこの籠(かご)へ入れてさしあげます」
隠「アアもうひと足俺が遅く通ると殺されちまった、コレうなぎ、この後必ず人の目にとまるようなところにいるなよ、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」

 因果を含めて天王橋からポチャリ川に逃がして、

隠「アアいい心持ちだ」と喜んで帰りました。それから毎日のようにうなぎ屋の前を通るたびに、亭主が裂台へ上がってうなぎを裂こうとするのを見ては買って逃がしてやる。うなぎ屋ではいい金箱ができたと喜んでいると、四五日隠居さん通らない。

亭「どうしやがったろう、この頃ちっとも隠居が通らねえが……」
女房「どうしたっておまえさんがあんまり毎日高く売るんで、隠居さんも買い切れないんで、いっそ見なければいいというのでまわり道をして新堀端(しんぼりばた)のほうでも行くんだよ」
亭「そうかも知れねえ、それじゃァ新堀へ一軒店を出そうか」
女「新堀へ店を出してどうするのさ」
亭「アノ隠居が通るだろう」
女「ダッテきっと通るかどうだかわかりゃァしない」
亭「それもそうだな、畜生どうしやがったろう、ふてえ奴だ」
女「なにがふてえんだえ、おまえのほうがよっぽどふてえ……ちょっとちょっとおまえさん噂をすれば蔭(かげ)とやら、向こうから、ご隠居さんが来たよ」
亭「エー来たァ……、ウム来た来た、じゃァきっと風邪でもひいて来なかったんだ、俺は裂台へ上がるからその手拭いを出しねぇ、鉢巻きをするんだ、ソレ襷(たすき)を出さねえか、グズグズしているうちに来るといけねえ、エーうなぎもどじょうもなかったか、ヤァしまった、なにか生きてるものはいねえか、猫はどうした」
女「猫はどこかへ遊びに行っちまったよ」
亭「しようがねえなァ、家の猫はねずみをとることを知らねえでうなぎやどじょうばかりねらってやがるから、こういう時にでも役に立てなくっちゃァ仕方がねぇ、どこへ行きゃァがったか、納得がいかねえじゃァねえか、アアしようがねえなだんだん近づいてきた、なにか生きてるものは……、アアその赤ン坊を出しねぇ」
女「おまえさん赤ン坊をどうするんだえ」
亭「どうしてもいいから出せということよ、グズグズしているうちに家の前へ来るじゃァねえか」

 ひったくるようにして赤ン坊を裂台の上へのせてギャァギャァ泣く奴を押えつけて庖丁を取り出したところへ来た隠居さん肝をつぶして店へとび込み

隠「コレコレなにをする、とんでもないばかな奴じゃァねえか、俺が四五日通らねえうちになにをしたかしれねえが、赤ン坊を殺そうなんてなんてえことだ」
亭「いらっしゃい、お上がんなさい」
隠「なにがいらっしゃいだ、赤ン坊を殺してどうする心算(つもり)だ」
亭「お客さんのご注文で」
隠「ばかをいえ、世の中に赤ン坊を食う奴があるか、とんでもねえ、わしの目にとまったからにゃァ、どうしても殺させるわけにいかねえ、俺が助けてやる」
亭「ご隠居さまの前でございますが、どうもこの頃は赤ン坊が不漁(しけ)続きで……」
隠「赤ン坊の不漁続きという奴があるか、いくらだ」
亭「お負け申して七両二分にいたしておきます」
隠「安いものだ、サア金をわたすよ」
亭「ヘエありがとうございます、では品物をお持ちくださいまし」
隠「オオ泣くな泣くな、俺がもうひと足遅かったら殺されちまうところだった、この後必ず人の目にとまるようなところにいるなよ、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」

 因果を含めて赤ン坊を天王橋からドブーン、これは後生うなぎという落語でございますが……、まことにいい戒めでございます。

西念「弁長(べんちょう)さん困るじゃァありませんかね、あなたみたように そう酔っぱらってしまってはしようがありません、帰りが遅くなるとお師匠 さまに叱られますから、いそいで帰りましょうよ」

弁長「マア西念(さいねん)、おまえのようにそういそがんでもいいというに、わしはひどく大儀(たいぎ)になったによってこの土手でしばらく休んでいく、毎日毎日こうして、師匠の言いつけで本堂建立(こんりゅう)のためおまえと二人で勧化(かんげ)して歩くが、布施物がかようにたくさんあるで、イヤもう重うてならん」

西「困るなァ弁長さん、おまえさんそんなに酔って帰るとお師匠さまに叱られますよ、五戒(ごかい)をやぶっては困るじゃァありませんか」

弁「ハハハハハ、ナニわしが五戒をやぶった」

西「やぶったじゃァありませんか、おまえさんは飲酒戒をやぶってます」

弁「イヤおまえは年がいかんによって、そのようなこといいなさるが、師匠からして五戒をやぶっているではないか」

西「なんでお師匠さまが五戒をやぶりました」

弁「サア師匠がなんと説教して聞かせなさる、この世で悪いことしたら未来は 地獄へ落ちて呵責(かしゃく)の苦しみを受けると、このようにいうてなはるやろが師匠さん地獄へ行って見てきたことがあるか、極楽見物をしたことがあるか、ありゃせまい、ソレ見たこともないことをいう、これ五戒の中の 妄語戒(もうごかい)や、ナァ師匠からして五戒をやぶってるでないか、酒 飲んでいい気持ちになっているうちにこれが真(しん)の極楽やハハハハハ、 そうじゃないか西念……、アッ誰じゃ、わしの頭をたたくは、……ヤァおど ろいた、ちっとも知らんでいたが、うしろに馬がつないである、馬めがわしの坊主頭をしっぽでもってたたきくさる、アーおどろいた、この馬のように重い物のせて歩かせられ、休む時にもつながれている、これがまず地獄の苦しみ、やァ……、いいことがあるぞ、西念、おまえも今までこうして重い物しょって地獄の苦しみをしていたが、これから極楽浄土へ導いてしんぜるぞ」

西「なんです弁長さん、極楽浄土へ導くというのは」
弁「その荷物をこっちへ出しなされ」
西「私の荷物をどうなさる」
弁「いいからこっちへ出しなされ、ソレおまえの荷物とわしの荷物と一緒にして、この馬の背中へこういう具合にのせる」
西「アレなんだって弁長さん馬の背中へ荷物をのせちまって」

弁「だまってなさい、エートそれからと……そうだそうだ、おまえの丸絎(まるぐけ…中に綿などをいれて丸く仕立てた帯)をちょっと解きなさい」
西「これをどうするんで」

弁「こっちへ出しなされ、ソレいいか、こうしてなハハハハ柔順(おとなし)い馬やな、手綱を解いておまえの丸絎を手綱のかわりに結びつけて、サアこれを曳(ひ)いて、おまえ先に寺へ帰んなされ、わしは少し酔いをさましてあとからすぐに帰るによって、一足先へ行きなさい」

西「だってこの馬を曳いていっちまったら、馬の持ち主が困るじゃァありませんか」

弁「いいというに、わしがあとはいいように計らうによって、心配せんで先へ行きなされ、二人とも帰りが遅くなったら師匠によけい心配かけねばならん、おまえだけ先へ帰れば師匠も安心しなさる、もし師匠がわしのことを尋ねたら弁長はあとに残って説教をいたしておりますと、こういえば師匠も心配せんわ、はよう行きなされよ……、ハハハハ可愛い者やな、兄弟子(あにでし)と思うて、師匠に小言いわれんようにと案じてくれるはかたじけない、しかしこのように酔ってしもうてこれで寺へもどったら、師匠がまたなんのかの とうるさいことを言うやろうからな、ここでちょっと一眠りして酔いをさまして行こうか……アアいい心持ちじゃな、イヤこれはマア心づかんであったが、この堤の下は流れやな、わしは寝相が悪いさかい、これから転がり落ちて川へおっこったらどもならん、アアうまいことがある、この榎(えのき)に結びつけてある今の馬の手綱、わしの胴中へくくりつけて、そうして寝ていたら川へおちる気づかいない、ドレ一眠りやってこうか」

 膝を枕にゴロリ転がる、一杯機嫌で高いびき、日は西山にかたむきまして、疎朶(そだ)を背負うた百姓、菅笠(すげがさ)をかぶって杖をつっぱりながらやってまいりまして、

「ヤアえらく遅うなったから、黒の畜生さぞマア待ちくたびれてるだろうのう、イヤドッコイショ、黒や、今もどってきたぞよ、さぞマア待遠だったろうのう、これからわれの背中借りてこの疎朶を積んでもどるだ……アレ榎へつないでおいた黒がいなくなったかわりに、坊さまがつながって寝ているだ、どうした、これや、モシ坊さま、せっかくハア寝ているところを気の毒だけれども、ここにつないでおいた黒馬、おめえさま知んねえかね、オイ坊さま、チョックラ起きてくんろ……」

 弁長気がついて、眼を開いてみると前に疎朶をしょって菅笠をかぶった男が立っております。しまったこいつ馬の飼い主にちがいない、早く逃げちまえばよかったと思ったが今さらどうすることもできません、ヒョイと見ると笠の裏に次郎作と書いてあるのが目につきましたから、

弁「これは次郎作さま、おもどりでございましたか」
次「アレたまげたね、初めてあった坊さんが、おらの名前を知るわけはねえが、どうしておめえさま知ってるだね」
弁「知っているどころではございません、私は長い間あなたに飼っていただきました黒でございます」
次「なんだって……長(なげ)え間飼ってもらった黒だァ、われどうして坊さまに化けた」
弁「そのご不審はごもっともでございますが、これにはいろいろ訳のあることでございます、じつは私は前の世に弁長という出家でございましたが、身上(みじょう)が悪いのでお釈迦さまのお罰(ばち)をこうむりこの世に黒馬になって生まれてまいったのでございます、ご縁があってあなたさまに長らく飼っておもらい申しまして、難行苦行を積みましたおかげをもってやっとお釈迦さまのお怒りが解け、今日(こんにち)元の出家の身体(からだ)になりましてございます」
次「ハテこれはめずらしい話を聞くものだな、ウーム身上が悪くってお釈迦さまの罰を受けてこの世へ馬に生まれてきて、それが今日元の人間になったちゅうは、めでてえことだのう、そうか、縁あっておまえと長くこうして一緒に稼いできた、それに今日はおらが亡母(おふくろ)の祥月命日(しょうつきめいにち)だ、これから家へ一緒に行って仏さまへ経の一つも上げてもらいてえもんだ」
弁「ハイ、どうぞご一緒にお連れなすってくださいまし」

 弁長もよんどころございませんから、次郎作と話し話しその家へ連れられてまいりました。

次「今帰ったぞ」
娘「とっさま戻んなすったかね、おっかさんよ、とっさま戻ったよ」
女房「アレとっさま、なんだってマァ自分で疎朶しょってきただね、黒の背中へ積んで来なすったらよかろうに」
次「それがよ、ふしぎな話もあるだ、マァおいね、われもここへ来いよ、……弁長さんなんだっておまえ門口に立ってるだ、初めて来た家じゃァあるめえ、──長(なげ)え間一緒にいて知んねえものでねえ、みんななじみの者だ、こっちへ入んなせえな」
娘「おっかさんよ、とっさまァなんだかようすおかしいがね、門口へなんだか見なれねえ坊さまァ連れてきて、長え間一緒にいてみんな知ってる顔だなんて、変なこといってるが、ことによったらきつねにでもだまされてきやしねえかね」
次「コレおいねよ、なにぼんやり立って見ているだ、待て待て今おらが草鞋(わらじ)脱いで上へあがってゆっくり話しするから……、さて二人ともにおらがいうことよく聞けよ、ここにいるこの坊さんはな、これはハア今朝まで家にいた黒だぞ」
娘「ソレみなさいおっかさん、とっさまはきつねにつままれたにちげえねえ、アノ坊さま馬だってよ」
次「ハハハハ、われがそう思うは無理はねえが、じつはここにいる坊さまァ、前の世にやっぱりご出家だった、それからおまえ身上が悪くってよ、お釈迦さまの罰を受けてこの世に馬に生まれてきて、縁あって家に長え間飼っておいた、それがやっと今元の坊さまになっただ、なんとめずらしい話でねえか」
娘「アアそうかね、どうりでアノ坊さま、色黒くって、長え面(つら)だ、これから始まっただね馬づらなんてえのは」
次「ハハハハそんな悪口はいわねえもんだ、サア弁長さんさっきいった通りだ、どうか一つ仏さまへお経を上げてやってくだせえ」
弁「ヘエかしこまりましてございます」

 弁長、仏壇に向かってしきりに経文を唱えておりますうちに、斎(とき)の支度ができまして、

次「サァなにもねえけれども志だ、飯(まま)食べておくんなせえ」
弁「ありがとう存じます、ご馳走さまになります」
次「わしはここで相変わらずなにより楽しみの酒を一口飲むから、おめえさまそこで飯食べなせえ、おいねよ、われここへ来て坊さまにお給仕してあげろよ、おらは手酌(てじゃく)で始めるから」

 うまそうに次郎作がチビリチビリ飲んでおりますのを見て弁長、どだい酒好き、目の前で飲まれてたまりません、咽喉(のど)をグビグビさして、

弁「モシ次郎作さん、あなたにご無心がございます」
次「ハアなんだね」
弁「他ではございませんが、私は久しいあいだ馬になっておりまして酒というものの味をスッカリ忘れてしまいましたが、どうでございましょう、一口いただくわけにはなりませんかな」
次「ナニ酒を飲むというのか、ソレよくなかんべえ、ご出家が酒を飲んだらまたお釈迦さまの罰が当たるだろう」
弁「イエお釈迦さまが今日だけは酒を許す、そのかわり明日からは決して飲んではならないとおっしゃいました」
次「ハアそうかそうか、それじゃァお釈迦さまが今日一日だけは飲んでもいいといったか、それではたくさん飲んで明日からきっと慎まなけりゃァならねえよ、おいね、酒なかったら取って来うよ、サア弁長さん飲みなさい」

 弁長、下地のあるところへ、またじゅうぶんに飲みましたからベロベロに酔っぱらってしまい、

弁「アアこれはいい心持ちになりましたな、どうもしばらく酒の味を忘れていたところを飲みましたので、なんともいえん心持ちになりました、ハハハハどうだいおいねさん、あなたここへきて酌をしてくださらんかナァ、酒は燗(かん)、肴は気取り、酌は髱(たぼ)というてな、どうも女子の酌でないと酒はうまく飲めん、あんた一つ酌をしてくれんか」
娘「お酌なんぞしないでも、自分で飲んだらよかろう」
次「コレなにをするだ弁長さん、おまえダメだぜ、女子(おなご)の手を引っぱったりなんかして、そんなことするからお釈迦さまの罰受けるだ、また馬になるぞ」

 どなりつけられてさすがに面目(めんぼく)なく、弁長は酔っぱらったふりをしてそこへぶったおれて寝てしまいました、風邪でもひかしてはならないと、布団をかけてやったりなにかしてソッと寝かしておくうちに、弁長目を覚ましてみると夜が明けております、肝をつぶして挨拶もソコソコ逃げ出してしまい、寺へ帰ってまいりまして、

弁「ハイお師匠さまただ今戻りましてございます」
住持「ヤア弁長か昨夜(ゆうべ)戻らんから、えろう心配していた、では夜ふけまで説教してきなされたか、それはご苦労じゃった、時に西念が曳いてきた馬じゃがな、あれはどういう訳の馬じゃか、おまえが戻ったら話聞こうと思っていた」
弁「ハイお師匠さま、あれはな、こういう訳でございました、二人がお布施をたくさんもらいまして、重い物しょって歩くのがかわいそうやから、この馬に積んで行ったがよいといってもらってきたのでございます」
住「それはご奇特(きとく)のことじゃ、しかしおまえ方二人の丹誠(たんせい)で、本堂建立の勧化(かんげ)も充分にいったが、アノ馬を飼うとなると飼い葉その他も費(かか)るによって、おまえご苦労じゃが、アノ馬を市へ持って行って金に換えてきておくれんか、その金を本堂建立のうちへ加えたら施主の志も届くやろうと思う」

 住持の言いつけで否(いや)ともいえません。

弁「かしこまってございます」

 と、馬を曳いて市へ出かけてきて、いくらかに売って帰りました、こっちは百姓の次郎作、永年飼っておいた馬がいなくなって、不自由でたまりませんから、かわりの馬を買おうというので市へやってきてみると、昨日まで飼っておりました黒がそこに売り物に出ております。

次「ハテナおかしいことがあるものだ、おらがところの黒によく似ている馬だが……アア黒にちげえねえ、左のほうの耳に白い差毛(さしげ)がある、これがたしかな証拠だ、黒だ、弁長さんだ、オイ弁長さん、おまえマアせっかく人間になったに、酒飲んだり女子にからかったりして、またお釈迦さまに罰当てられて馬になったな、アー弁長さん情けねえ姿になんなすったのう」

 と馬の耳に口を寄せて、大きな声を出すと、馬はどう思ったか、首をヒョイヒョイと横に振った。

次「ハハハハダメだよ、いくらとぼけても、左の耳の差毛で知ってるだよ」


解説 これは落語としては珍しいものである。親が牛に生まれ変わったとか、自分の前身が黒だったと偽る趣向は馬琴の作などによくある手だから、たいして珍しいともいえないが今はやりてがない。先代の、二代目燕枝が時折やっていた。サゲはぶッつけ落。「後生うなぎ」のサゲは間抜け落ち。

2017年8月28日月曜日

シシリア人の話: カザルマッジョーレの修道士 ロングフェロー 作

Tales of a Wayside Inn 1863
シシリア人の話: カザルマッジョーレの修道士 
ヘンリー・ワーズワース・ロングフェロー 作

1.
 もう何世紀も昔の事だが、真夏の太陽が照りつける中、二人のフランシスコ修道会士が、クタクタに疲れた重い足取りで寺に帰ろうとしていた。その白亜の壁と塔は残雪のように山腹に輝いていた。
 二人は埃まみれで、イバラに引き裂かれ、背中には清貧の印である物乞い袋を背負い、荷役のラバのように耐え忍んでいた。
2.
 一方の修道士はアンソニーと言い、慎み深く静かな男で、頬は青白く痩せていた。彼は夜行や懺悔や断食や祈りに多くを費やした。彼の体は、内側で真っ赤に燃え盛る木炭に積もった灰のように白かった。 
 彼の一日の多くは、修道士たる者の精神が神の声に耳を傾けその声に従うものであった。
3.
 もう一方はティモシーと言い、大きな図体で粗暴であった。彼は赤ら顔で、巨漢の修道士であった。尻が大きく、肩幅もそれに見合ってガッシリとしていた。それ故しばしば彼は、修道院の恥になるような騒音を薄暗い食堂に轟かせた。
 だが、ミサの教書で人の注目を集めることはまずなかった。というのも彼は読誦による修練を全くしなかったからである。
4.
 さて、二人が森を抜け出ると、喜びと驚きの光景があった。一匹の驢馬が木にしっかりと繋がれ、退屈そうに、大きく澄んだ目を瞬きさせていたのだ。
 驢馬の持ち主は、近所に住む農夫のギルバートであるが、彼は柴を探しに深い森へと分け入り、驢馬が熟考できるようにと日陰に残して行ったのだ。
5.
 ティモシーはその忍耐強い動物を見つけるやいなやこう言った、「神のご加護に感謝します。神は我等のために、この者をお遣わし下された。では、神に造られしこの生きものの背中に、我々の荷を載せることにしよう」
 それを済ますと、彼は慌てることもなく、驢馬の頭と首から端綱を解き、それを自身に装着した。そして驢馬がそうであったように、木にしっかりと繋がれて立った。
6.
 そして快活に笑い声を上げると、アンソニーに向かって叫んだ。
「さあ行くんだ。君の錫杖で驢馬を追い立てるんだ。そして修道院に着いたら、私は疲れと病気で熱が出たので、一晩農夫の所に泊めて貰うことにしたと言ってくれ。そうして、お布施の食料で頭陀袋が重くなったので、それを運ぶのに農夫が驢馬を貸してくれたと言うんだ」
7.
 アンソニーは、ティモシーの悪戯であるのが分かったが、彼がつむじ曲がりの変わり者であるのは知っていたので、敢えて諭そうとはせず、黙って彼の言葉に従った。
 そして、驢馬の尻を錫杖で打ちつけ、丘や林を越え頭陀袋に飼葉も添えて、修道院の門へと追い立てた。哀れなティモシーのことは、彼の運命に委ねることにした。
8.
 ギルバートは、焚き木にする柴を背負って、森から勢いよく出して来て、肝とつぶして立ち止まった。彼が驢馬を繋いで置いた場所に巨漢の修道士が立っていたのだ。
 ギルバートは震えながら立ち尽くし、近づこうとはしなかった。そして、目を見開き、ポカンと口を開け、ハットして十字を斬った。
 彼は迷信深く、これっぽっちも知性を持ち合わせていなかったので、それを地獄から来た悪魔だと思ったのだ。彼は狼狽えて口も聞けずに凝視したまま、背負っていた柴を地面に落とした。
 するとティモシーが言った。「驚くには及ばない。御前がここに繋いでおいた驢馬は、憐れなフランシスコ修道会の修道士であったということだ。しかも端綱に繋がれ慎み深く立っていたので、飢え死にするほど弱っているのだ。私を解き放ち、カザルマッジョーレの修道士ティモシーの哀れな話しを聞いてくれ」
9.
「私は罪深い者なのだ。御前は、私が聖なる頭巾とケープを着ているのが分かるだろ。御前は驢馬を所有していたのではないのだ。御前は、七つの大罪の大食の罪により、姿を変えられたこの私を所有していたのだ。驢馬として鞭打たれ使役され、草を食べるという贖罪以外その罪を逃れる術がなかったのだ」
10.
「私の受けた屈辱を思え。
 私の辿った悲惨な人生、
 私が余儀なくされた、労苦と鞭打ち、
 風の吹き抜ける納屋での惨め寝起き
 渋々与えられる僅かばかりの食べ物
 湿ってカビ臭い藁の寝床、これらがどんなものだったかを考えてみよ。
 私は、自分の罪の贖罪のためこれを成し遂げたのだ。
 そして、人として修道士としての人生が再び始まったのだ」
11.
 人の善いギルバートは、これらの話を聞いて、良心の呵責に苛まれ、修道士の前に崩れ落ち跪いた。そして、寛大な慈悲をお恵み下さいと懇願した。
 心正しい修道士は、今はすっかり心安らかになり、満面の笑みを湛えて彼の罪を赦した。そして時間も遅くなり、彼には休息が必要だったので、その夜、農夫の客となることを断ることもできなかった。
12.
 オリーブの茂った丘に、白亜の壁に模様の描かれたコテージが建っていた。近くの蜂の巣からは、遠くから聞える滝音のような、羽音が響いていた。
 隠遁生活を愛する人が、騒音や喧騒から離れ、満ち足りて暮らしている場所であった。それは、収穫物を目安にゆっくりと移り行く一年をはかる、クラウディア作の「The Old Man of Verona」のようであった。
13.
 コテージへとやってくると、彼の子供たち、そして肉付きのよい女将さんのシシリー夫人がおり、そして長年の畑仕事で腰の曲がった父親が長椅子に座って、ミラノとフランスの古い戦争での出来事を取り留めもなく繰り返し語っていた。
 家族の者皆、フランシスコ修道士を、敬虔な尊敬と畏敬の念をもって迎え入れた。
14.
 ギルバートは何が起こったのかを皆に話した。どんな疑問も、疑いも、推測も挟むこともなく、この心正しいブラザー・ティモシーは、自分たちが飼っていた驢馬であったのだと言ったのだ。
 彼等の瞳の驚きの色が見えるだろうか?
 彼等が「おお! 神よ!」と叫び声を上るのが聞こえただろうか?
 彼等の悲嘆と困惑がどれほどのものであったか!
詰まる所、全員その話を信じ、そしてこの苦しめられた男の中に、聖者を見たのだ。
15.
 長きに渡る厳格な断食が明け、すぐさま、修道士の欲求を満たすため、ありったけの食事が用意された。
 女将さんは台所の竈の火を勇んでかき回し、自身の願いとして、庭で飼っている最上で最後の二羽の鶏がつぶさた。
 サラダボールにはサラダが、そして、すべてに報いるために、高級なフランスワインが供された。
16.
 ブラザー・ティモシーがどんなに空腹に見えたか、何度言っても信じられないだろう。
 彼の食べる姿を見るほど愉快なものはなかった。
彼の赤い髭から白い歯がこぼれ、ワインと肉で、彼の顔は紅潮していた。
 彼は邪な目を、キョロキョロさせ、嘲笑し、色目を送ったのだ!
主よ! 彼は、ビンテージワインに神が宿っているとでもいうように、赤い血のようなフランスワインを飲んだのだ。
 彼はのべつ幕なし浮かれ話を話し続け、終わることを知らず、それどころかいよいよ増長して、常軌を逸したかのような、大きな笑い声を上げ、そして、羊毛のように生えている赤髭を揺すった。
 そして、シシリー婦人に色目を送った。
 とうとうギルバートは、お客に腹を立て、怒を表した。
17.
「正しき神父様」彼は言った「私たちは、禁欲というものが、どれほど必要であるかを容易に知ることができます。長い贖罪の後に、あなたは今夜罪を赦されました。しかしあなたは、誘惑に抗する力が弱いということを、明らかに示しました。そしてそれは、あなたが再び大罪に身を沈め、怖ろしい危険に陥ることを示しているのです」
18.
「明日の朝、太陽が昇ったら、修道院にお帰りなさい。さもないと、断食や神罰から逃れられません。あなたは、肉を食い馬鹿騒ぎをして、再び驢馬になるという大きな危険に突き進んでいるのです。神罰を望むならいざしらず、さもないと、あなたの皮膚は鞭でそがれることになるでしょう」
19.
 修道士はこれを聞いて、色を失い、稲妻に打たれたように我に返った。そして、爪先から頭まで赤くなり、赤毛の頭の青白く禿た部分まで真っ赤に染まった。
 老人は椅子で眠っていた。全員退席すると深く沈みこみ、どうしようもなくただただ眠った。
20.
 彼等は夜が明ける間際まで眠った・・・オンドリが鳴き声を上げるその時まで。しかしオンドリは鳴かなかった。ご存知の通り、彼等はピンピカのオンドリを殺して、昨晩食べてしまったのだ。
 修道士は、早起きして上機嫌だった。そして朝食を食べると、朝の祈祷の鐘が遠くから聞こえてきたかのように、急いで出立した。別れの挨拶はしたかどうか分からないくらいだった。
21.
 牝牛の息のように、清々しい朝であった。ハーブの香と松の木が蒸散させる甘いバルサミコのような香が混じり合っていた。朝靄がこれから暑い日になることを予言していた。
 アペニン山の上に太陽が昇り、その谷間に広がる霧は、鳥たちの歌声、人の声、鐘の音、牛の鳴き声などで満ち満ちていた。
22.
 ブラザー・ティモシーにとって、全ての事柄は無意味なものでしかなかった。彼は景色を愛でることを知らない、そしてこの景色も例外ではない。彼のめくるめく雑念は、ここでも、望みのものを見つけなかった。
 しかし、修道院の壁が視界に現れ、厨房の煙突から煙が立ち上り渦をまいて空気中に昇って行くのを見つけて、歩みを速めた。獣のように、少なくとも3マイル離れた厩舎の臭いを嗅ぎつけたのだ。
23.
 修道院の門を入ると、彼はそこで、例の驢馬を認めた。驢馬は耳をくるくり回して立っていた。それは、あの森で見つけた時と同じように、そこに置いておかれているように思えた。

 彼は修道院長に、この驢馬は、修道士たちの日々の仕事を軽減するために、金持ちで倹約家の男が、お布施として修道院に贈ったものであるということを伝えた。
24.
 そこで修道院長は何日もの間、この重大問題を熟考した。彼は多方面から何度も検討し、憂いのない結論が導きだせるものと期待したのだが、口さのない世間のことを畏れて思い留まった。
 もしこの手のお布施を受けたとしたら、「怠け者の修道士たちは、お布施袋を自分で担がずに、驢馬に運ばせているよ。」と言われることだろう。
 この手の中傷を避け、世間の口に上らぬようにするために、この面倒な問題は取りやめにして、手早くこの驢馬を売って出費を抑え、いざという時のためのたくわえにすることにした。
 こうして修道院長は驢馬を隣町の市場にやって、この厄介事から自由になった。
25.
 ある人が言ったように、偶然の出来事というものは、他の人からは運命と呼ばれるものとなる。 ギルバートが、その市にやって来たのだ。そして驢馬の鳴き声を耳にした。彼はそこへ近づいて行って、そして彼はそれを見た。
 彼は驢馬の耳元で囁いた。「ああ、なんということだ。神父様、私には分かるよ。暴食のせいで、再び驢馬にされてしまったんだね。私の忠告は皆無駄だったんだね。」
26.
 驢馬は、耳に息を感じて、振り返ることが出来ずに頭を振った。それはあたかも、農夫の話が面白くないという風だった。これを見てギルバートはもっと大声ではっきりと言った。
「私はあなたの事をよく知ってるんだよ。しらばくれて駄目だよ。あなたの髪は赤毛で、フランシスコ会の修道士で、名前はティモシーって言うんだよ」
27.
 驢馬は、秘密を暴かれたにもかかわらず、頑なで、再び頭を振った。そうこうしてると、二人の会話を聞きつけて大勢集まって来た。そしてギルバートが、真相を明らかにしようとすると、彼等は大声で囃し立てた。そして一日中、嘲笑と囃子歌で彼を愚弄し続けた。
「この驢馬が、修道士のティモシーと言うなら」彼等は叫んだ。「買って、やわらかい草でも食わせてやればいい。二度も驢馬に変えられたんだから、こいつのために、どれだけのことをしたってし過ぎるということはないだろうからな」
 こう言われて、人の善いギルバートは彼を買うと、端綱を解いて、[慎みと心の安寧に向かうことについて語りながら]、山や沼地を越へ家へと案内した。
28.
 子供たちは彼等がやってくるのを見ると、迎え出て喜びの余り大声を上げ、彼の首にぶら下がった。・・・それはギルバートの首ではなく驢馬の首だった。・・・そして彼の周りを踊り回った。
 それから神の聖なる人を飾るために、緑の草で冠を編んだ。子供の感覚では、手綱や認証札が無ければ、灰色の修道服の修道士と驢馬とを区別するのは全く不可能だった。
29.
「ティモシーさんよ」子供たちが言った。「以前と同じ姿になって、戻ってきてくれたんだね。僕達は、あなたが死んだんじゃないと思ってね、それでもう二度と会えないんじゃないかと心配だったんだよ」
 こう言うと、子供たちは彼の額の白い星にキスをした。それは、生まれつきの痣のようでもあり、徽章を帯ているよでもあった。そして、首や顔をなで、無邪気にたくさんのことを話した。
30.
 それ以来彼は、「ティモシーさん」として知られ、常に贅沢な暮らしをさせてもらった。それは、彼が穀物や藁をたらふく食べて恩知らずとなり、手がつけられなくなるまで続いた。
 ある日の事、哀れなギルバートは、自身を責めるように苦々しくこう言った。
「善良な親切が誤解された時は、少し鞭をくれてやるのがよいということだ」
31.
 ここで、彼の悪徳の多くを語る必要はない。ただ、幼子や老人に対しても後ろ脚を振る上げる習慣があった。
 また彼は端綱を壊して、狂ったよう走り出し、牧草地を越え野原を越え森を越えを草原を越えて逃げて行った。こんな悪さは朝飯前だった。一番ひどかったのは、夜中に小屋を逃げ出し、キャベツの苗床をめちゃくちゃにした事だった。
32.
 こうして、ティモシーさんは再び労働と苦痛の昔の生活に戻った。そして以前よりもひどく鞭打たれることとなった。
 安穏と抱擁の代わりに、雑多の仕事と痛みを伴う苦悩がやって来た。彼の苦役が増えるにつれて、食物は減って行った。遂には、彼の多くの苦しみを終わらせる死が最大の慰めとなった。
33.
 彼の死は大きな悲しみとなった。彼は悔い改めることをほとんどしなかったのだ。シシリー夫人は悲嘆に暮れ、子供たちは泣き悲しんだ。老人は未だにフランス戦争の出来事を覚えていた。そしてギルバートは、ここへやって来てそして行ってしまった彼の多くの美徳を賛美してこう言った。
「神様、どうかティモシーさんをお赦し下さい。そして、大食の罪から私たちを遠ざけて下さいますように」

 (日本語訳 Keigo Hayami)

Tales of a Wayside Inn  The Sicilian's Tale; The Monk of Casal-Maggiore by HENRY WADSWORTH LONGFELLOW

Tales of a Wayside Inn 1863
HENRY WADSWORTH LONGFELLOW

The Sicilian's Tale; The Monk of Casal-Maggiore
1.
Once on a time, some centuries ago,
  In the hot sunshine two Franciscan friars
Wended their weary way, with footsteps slow
  Back to their convent, whose white walls and spires
Gleamed on the hillside like a patch of snow;
  Covered with dust they were, and torn by briers,
And bore like sumpter-mules upon their backs
The badge of poverty, their beggar's sacks.
2.
The first was Brother Anthony, a spare
  And silent man, with pallid cheeks and thin,
Much given to vigils, penance, fasting, prayer,
  Solemn and gray, and worn with discipline,
As if his body but white ashes were,
  Heaped on the living coals that glowed within;
A simple monk, like many of his day,
Whose instinct was to listen and obey.
3.
A different man was Brother Timothy,
  Of larger mould and of a coarser paste;
A rubicund and stalwart monk was he,
  Broad in the shoulders, broader in the waist,
Who often filled the dull refectory
  With noise by which the convent was disgraced,
But to the mass-book gave but little heed,
By reason he had never learned to read.
4.
Now, as they passed the outskirts of a wood,
 They saw, with mingled pleasure and surprise,
Fast tethered to a tree an ass, that stood
  Lazily winking his large, limpid eyes.
The farmer Gilbert of that neighborhood
  His owner was, who, looking for supplies
Of fagots, deeper in the wood had strayed,
Leaving his beast to ponder in the shade.
5.
As soon as Brother Timothy espied
  The patient animal, he said: "Good-lack!
Thus for our needs doth Providence provide;
  We'll lay our wallets on the creature's back."
This being done, he leisurely untied
  From head and neck the halter of the jack,
And put it round his own, and to the tree
Stood tethered fast as if the ass were he.
6.
And, bursting forth into a merry laugh,
  He cried to Brother Anthony: "Away!
And drive the ass before you with your staff;
  And when you reach the convent you may say
You left me at a farm, half tired and half
  Ill with a fever, for a night and day,
And that the farmer lent this ass to bear
Our wallets, that are heavy with good fare."
7.
Now Brother Anthony, who knew the pranks
  Of Brother Timothy, would not persuade
Or reason with him on his quirks and cranks,
  But, being obedient, silently obeyed;
And, smiting with his staff the ass's flanks,
  Drove him before him over hill and glade,
Safe with his provend to the convent gate,
Leaving poor Brother Timothy to his fate.
8.
Then Gilbert, laden with fagots for his fire,
  Forth issued from the wood, and stood aghast
To see the ponderous body of the friar
  Standing where he had left his donkey last.
Trembling he stood, and dared not venture nigher,
  But stared, and gaped, and crossed himself full fast;
For, being credulous and of little wit,
He thought it was some demon from the pit.
While speechless and bewildered thus he gazed,
  And dropped his load of fagots on the ground,
Quoth Brother Timothy: "Be not amazed
  That where you left a donkey should be found
A poor Franciscan friar, half-starved and crazed,
  Standing demure and with a halter bound;
But set me free, and hear the piteous story
Of Brother Timothy of Casal-Maggiore.
9.
"I am a sinful man, although you see
  I wear the consecrated cowl and cape;
You never owned an ass, but you owned me,
  Changed and transformed from my own natural shape
All for the deadly sin of gluttony,
  From which I could not otherwise escape,
Than by this penance, dieting on grass,
And being worked and beaten as an ass.
10.
"Think of the ignominy I endured;
  Think of the miserable life I led,
The toil and blows to which I was inured,
  My wretched lodging in a windy shed,
My scanty fare so grudgingly procured,
  The damp and musty straw that formed my bed!
But, having done this penance for my sins,
My life as man and monk again begins."
11.
The simple Gilbert, hearing words like these,
  Was conscience-stricken, and fell down apace
Before the friar upon his bended knees,
  And with a suppliant voice implored his grace;
And the good monk, now very much at ease,
  Granted him pardon with a smiling face,
Nor could refuse to be that night his guest,
It being late, and he in need of rest.
12.
Upon a hillside, where the olive thrives,
  With figures painted on its white-washed walls,
The cottage stood; and near the humming hives
  Made murmurs as of far-off waterfalls;
A place where those who love secluded lives
  Might live content, and, free from noise and brawls,
Like Claudian's Old Man of Verona here
Measure by fruits the slow-revolving year.
13.
And, coming to this cottage of content
  They found his children, and the buxom wench
His wife, Dame Cicely, and his father, bent
  With years and labor, seated on a bench,
Repeating over some obscure event
  In the old wars of Milanese and French;
All welcomed the Franciscan, with a sense
Of sacred awe and humble reverence.
14.
When Gilbert told them what had come to pass,
  How beyond question, cavil, or surmise,
Good Brother Timothy had been their ass,
  You should have seen the wonder in their eyes;
You should have heard them cry, "Alas! alas!
  Have heard their lamentations and their sighs!
For all believed the story, and began
To see a saint in this afflicted man.
15.
Forthwith there was prepared a grand repast,
  To satisfy the craving of the friar
After so rigid and prolonged a fast;
  The bustling housewife stirred the kitchen fire;
Then her two barn-yard fowls, her best and last,
  Were put to death, at her express desire,
And served up with a salad in a bowl,
And flasks of country wine to crown the whole.
16.
It would not be believed should I repeat
  How hungry Brother Timothy appeared;
It was a pleasure but to see him eat,
  His white teeth flashing through his russet beard,
His face aglow and flushed with wine and meat,
  His roguish eyes that rolled and laughed and leered!
Lord! how he drank the blood-red country wine
As if the village vintage were divine!
And all the while he talked without surcease,
  And told his merry tales with jovial glee
That never flagged, but rather did increase,
  And laughed aloud as if insane were he,
And wagged his red beard, matted like a fleece,
  And cast such glances at Dame Cicely
That Gilbert now grew angry with his guest,
And thus in words his rising wrath expressed.
17.
"Good father," said he, "easily we see
  How needful in some persons, and how right,
Mortification of the flesh may be.
  The indulgence you have given it to-night,
After long penance, clearly proves to me
  Your strength against temptation is but slight,
And shows the dreadful peril you are in
Of a relapse into your deadly sin.
18.
"To-morrow morning, with the rising sun,
  Go back unto your convent, nor refrain
From fasting and from scourging, for you run
  Great danger to become an ass again,
Since monkish flesh and asinine are one;
  Therefore be wise, nor longer here remain,
Unless you wish the scourge should be applied
By other hands, that will not spare your hide."
19.
When this the monk had heard, his color fled
  And then returned, like lightning in the air,
Till he was all one blush from foot to head,
  And even the bald spot in his russet hair
Turned from its usual pallor to bright red!
  The old man was asleep upon his chair.
Then all retired, and sank into the deep
And helpless imbecility of sleep.
20.
They slept until the dawn of day drew near,
  Till the cock should have crowed, but did not crow,
For they had slain the shining chanticleer
  And eaten him for supper, as you know.
The monk was up betimes and of good cheer,
  And, having breakfasted, made haste to go,
As if he heard the distant matin bell,
And had but little time to say farewell.
21.
Fresh was the morning as the breath of kine;
  Odors of herbs commingled with the sweet
Balsamic exhalations of the pine;
  A haze was in the air presaging heat;
Uprose the sun above the Apennine,
  And all the misty valleys at its feet
Were full of the delirious song of birds,
Voices of men, and bells, and low of herds.
22.
All this to Brother Timothy was naught;
 He did not care for scenery, nor here
His busy fancy found the thing it sought;
  But when he saw the convent walls appear,
And smoke from kitchen chimneys upward caught
  And whirled aloft into the atmosphere,
He quickened his slow footsteps, like a beast
That scents the stable a league off at least.
23.
And as he entered through the convent gate
  He saw there in the court the ass, who stood
Twirling his ears about, and seemed to wait,
  Just as he found him waiting in the wood;
And told the Prior that, to alleviate
  The daily labors of the brotherhood,
The owner, being a man of means and thrift,
Bestowed him on the convent as a gift.
24.
And thereupon the Prior for many days
  Revolved this serious matter in his mind,
And turned it over many different ways,
  Hoping that some safe issue he might find;
But stood in fear of what the world would say,
  If he accepted presents of this kind,
Employing beasts of burden for the packs,
That lazy monks should carry on their backs.
Then, to avoid all scandal of the sort,
  And stop the mouth of cavil, he decreed
That he would cut the tedious matter short,
  And sell the ass with all convenient speed,
Thus saving the expense of his support,
  And hoarding something for a time of need.
So he despatched him to the neighboring Fair,
And freed himself from cumber and from care.
25.
It happened now by chance, as some might say,
  Others perhaps would call it destiny,
Gilbert was at the Fair; and heard a bray,
  And nearer came, and saw that it was he,
And whispered in his ear, "Ah, lackaday!
  Good father, the rebellious flesh, I see,
Has changed you back into an ass again,
And all my admonitions were in vain."
26.
The ass, who felt this breathing in his ear,
  Did not turn round to look, but shook his head,
As if he were not pleased these words to hear,
  And contradicted all that had been said.
And this made Gilbert cry in voice more clear,
  "I know you well; your hair is russet-red;
Do not deny it; for you are the same
Franciscan friar, and Timothy by name."
27.
The ass, though now the secret had come out,
  Was obstinate, and shook his head again;
Until a crowd was gathered round about
  To hear this dialogue between the twain;
And raised their voices in a noisy shout
  When Gilbert tried to make the matter plain,
And flouted him and mocked him all day long
With laughter and with jibes and scraps of song.
"If this be Brother Timothy," they cried,
  "Buy him, and feed him on the tenderest grass;
Thou canst not do too much for one so tried
  As to be twice transformed into an ass."
So simple Gilbert bought him, and untied
  His halter, and o'er mountain and morass
He led him homeward, talking as he went
Of good behavior and a mind content.
28.
The children saw them coming, and advanced,
  Shouting with joy, and hung about his neck,--
Not Gilbert's, but the ass's,--round him danced,
  And wove green garlands where-withal to deck
His sacred person; for again it chanced
  Their childish feelings, without rein or check,
Could not discriminate in any way
A donkey from a friar of Orders Gray.
29.
"O Brother Timothy," the children said,
  "You have come back to us just as before;
We were afraid, and thought that you were dead,
  And we should never see you any more."
And then they kissed the white star on his head,
  That like a birth-mark or a badge he wore,
And patted him upon the neck and face,
And said a thousand things with childish grace.
30.
Thenceforward and forever he was known
  As Brother Timothy, and led always
A life of luxury, till he had grown
  Ungrateful being stuffed with corn and hay,
And very vicious.  Then in angry tone,
  Rousing himself, poor Gilbert said one day
"When simple kindness is misunderstood
A little flagellation may do good."
31.
His many vices need not here be told;
  Among them was a habit that he had
Of flinging up his heels at young and old,
  Breaking his halter, running off like mad
O'er pasture-lands and meadow, wood and wold,
  And other misdemeanors quite as bad;
But worst of all was breaking from his shed
At night, and ravaging the cabbage-bed.
32.
So Brother Timothy went back once more
  To his old life of labor and distress;
Was beaten worse than he had been before.
  And now, instead of comfort and caress,
Came labors manifold and trials sore;
  And as his toils increased his food grew less,
Until at last the great consoler, Death,
Ended his many sufferings with his breath.
33.
Great was the lamentation when he died;
  And mainly that he died impenitent;
Dame Cicely bewailed, the children cried,
  The old man still remembered the event
In the French war, and Gilbert magnified
  His many virtues, as he came and went,
And said: "Heaven pardon Brother Timothy,
And keep us from the sin of gluttony."

2017年8月27日日曜日

禅学講話  第八章 理想と実行との帰一----修證不二論 忽滑谷快天 述

禅学講話 忽滑谷快天 述
井冽堂 明治39.6 1906.6

第八章 理想と実行との帰一----修證不二論

修とは修行とか修養とか申すこと、證とは修行の結果として得たる大悟とか證得とか申すことである。即ち修因證果と熟字して、修は平生吾人の工夫練磨を積むこと、證は吾人の工夫練磨の効によりて明確に道理を明らめ精神の安住を得るのであります。譬へば修行は学生が学校にて毎日学問する如きもの、證得は学校を卒業する如きものである。また譬へば修行は食物を咀嚼するが如く、證得は食物が身体を養ふが如くである。然るに禅門に所謂、修證は修の始めなく證の終りなしと申して證得をし安心をしたから、それにて修養は終りになるといふのではない。譫へば小学校を卒業したから、それにて学問は終つたとはいはれぬ、更に中学に進み、高等学校に入り、大学に進み入りて研究し、大学を卒業しても、それにて学問が卒つたのではない、更に終身桔据勉励して益々学問の堂与に入るやうなものである。されば学問には無限の進趣がある。これと同時に小学の卒業も、中学の卒業も、高等学校及び大学の卒業も一段一段の證得であり安心である。否、毎日毎日一事を学べは一事を得るのであるから、修業あり證得がある。されば学ぶのが其儘其所得なので、修行と證得とは別にあるではない。今日今日の勤めが修行なり證得なりである。前の譬喩にて言へば食物を咀嚼する間に食物は体内に吸収せられ、吸収せられたる食物は身体となりて更に食物を消化するが如くであります。これを修證不二といふのである。
さすれば人間の一生は大なる石造の高楼を築きつゝある如くで、毎日毎日一個若しく数個の石を積み上げて行く、然れば吾人が築きつゝある家は如何なる法則に従ふて築かねばならぬか、また如何なる目的に使用するやうに作らねばならぬか、これ大なる疑問である。思ふに世界幾億の人類は皆それ/゛\力を尽くして此大廈の建築に従事して居るのであるが、さればとて実際に建築の目的を意識して努力して居る人は少いのである。大凡生物の進歩発達に三段の階級があるやうに思はるゝ。第一は無意識的時代、第二は意識的時代、第三は目的を意識する時代である。
土瓦石芥の類より草木及び下等なる動物にありては全く眠れるが如く無意識の状態にありて、自個の存在を殆んど知らずに居る。之に反して高等の動物は意識を発動して自己の存在を知り、単に機械的、反射的に活動するのみでなく、意志の働きによりて自ら思ふ如く活動しつゝあるを見る。然れども彼等は単に生活せんが為めに生活するのみで何等かの目的ありて生活するを知らぬのである。人間にありても単に自身の生活の為め、子孫の生活の為めに努力して日もまた足らず、生活の為めに生活して毫も何等の目的ありて生活するとは知らざる人がある。それより更に一段の進歩をすれば人間生活の目的を意識して生活するやうになる。これが生物進歩の三段階であります。
次に人間にも同様なる三階段の進歩発達がある。即ち人間が母の体内にて細胞である頃より漸次に発達成長して体外に生れ出で、嬰孩にして褓襁にある間は夢の如く眠れる如く一向に無意識的である。然れども次第に成長するに従て自身を認識して他人との区別を知り、自己の意志に任せて活動せんとするやうになる、これ一段の進歩であります。然れども此意識的生活の時期を通過して目的を認知し、其目的に合するやうに生活するものは少いのである。
譬へば河の水が自然に低き方へ低き方へと流れて東西に曲折するけれども遂には必ず大海に注ぐ如く、生物も生存競争をしつゝ幾百万年の長日月を通じて進歩したる結果或一定の目的に向つて進みつゝあるが、河水が其流るゝ目的を知らざるが如くに生物も其目的を理解せざるものが多いのである。而して生物は如何に生活すべきか、如何に生物の生活しべき舞台は作られてあるか、如何にして活動は可能であるかといふ問題を吾人に教へるものは百科の学問でありまして、如何なる目的を以て生活し、如何なる活動をしたならば其目的に添ふであらうかといふ問題を吾人に示すのが哲学や宗教であります。
然り而して我仏教に説く所は人生の目的は智徳の向上にあると申すので、前回の講義に詳述したる悲智の二つであります。人生の目的が智徳の向上にあるといふは決して空論や、空想を逞うした次第ではないので、地球発達の歴史に徴して明かなる事実である。何となれば我地球が幾十億万年の長い春秋を閲して漸く原始生物の生活に適する状態となりてより今日人間全盛の時期に至るまで、生物進化の段階は一歩一歩、智徳の二つに於て進歩をなし、人間の出現してより今日の文明に至る迄大約二十五万年の歴史も等しく智徳向上の歴史に外ならぬのである。さすれば吾人の将来も亦智徳の向上を一貫の主義とせねばならぬ。これを今日流行の語にて申せば智徳の向上を理想として毎日毎日之が実現に努力するのである。而して一の理想を実現すれば、また其上の理想を形成して之を実現し、当該理想を実現すれば更に其上の理想を形成して愈々益々無限に進歩し無限に向上するを努めるのである。この理想を実現せんとするの努力は即ち修行で、理想を実現したのは證得である。故に修の始めなく證の終りなしで、限りなく智徳の向上を期するのであります。

是に於て乎、四弘誓願にも、
    衆生無邊誓願度   煩脳無盡誓願断
    法門無量誓願學   佛道無上誓願成
とありまして、衆生は無辺無数に多いけれども誓ふて済度したい、煩悩の迷執は尽くることなく沢山あれども誓ふて断じ尽したい、教法は量りなく多くあれども誓ふて学び畢りたい、仏道は無上甚深であるけれども誓ふて成就したいと願ふのであります。此四句を要約すれば第二句の煩悩無尽誓願断と第三句の法門無量誓願学とは正智を得んとする希望で、第一句の衆生無辺誓願度と第四句の仏道無上誓願成は慈悲を行はんとする希望である。
されば此四大願とは智徳と円満にせんとの大希望に外ならぬ。
かくして毎日毎日の修行が最も肝要なる努めであるから、修證義にも
 我等が行持に依りて諸仏の行持見成し、諸仏の大道通達するなり、然あ
 れば則ち一日の行持是れ諸仏の種子なり、諸仏の行持なり
と示されまして一日一時一刹那の修行も非常に大切なる安心解脱の素地であり、仏祖の行持である。故に禅の宗旨は一も奇特玄妙といふて不可思議なる出来事や、俗耳を悦ばすやうな一種奇妙なることを教へるのではない。
昔し黄蘗希運禅師が天台山に遊びました時、一人の雲水僧が同伴となりましたが、妙に其雲水の眼が輝いて居る。暫くして二人共に大なる谷川の辺に来りました、然るにこの谷川は水勢急にして水は溢るゝばかりに流れて居る。且つ渡るべき橋もないから黄蘗も暫時踟蹰しつゝあると、件の雲水はいざ渡りませうとて裳をかかげて水上を行くこと陸地を踏むが如く、中流より後ろを顧みて早く渡り給へと黄蘗にいへば、黄蘗は大いに憤りまして、おのれ、羅漢なりと知らば早く汝が脚を打ち折りてくれんものをと申しました。是に於て羅漢は黄蘗を賛歎して真に是れ大乗の法器なり、我及ぶ所にあらずといふて何処ともなく消え失せたといふ話しがある。這は謂ふ迄もなく歴史的事実として見られぬ話しであるが、禅の要は神通変幻にあらざることを諷したものであります。
然るに兎角宗教といへば何か一種超絶的な、不可思議変幻のことがなくては物足らぬやうに思ふのが幼穉なる人の常である。這は小児野蛮人に於て見る所の現象で、小児が変幻の事を好み、奇妙なる話しをすると耳を欹て聴きますが、野蛮人及び無智なる人士は兎角此弊を免れぬ。ロングフェローが詩中に滑稽な話しがある。
或る山寺にアンチンとチモシイといふ二人の雲水僧がありまして夏日行乞に出て多く麦や米を貰ふて背に負ふて寺へ帰る途中、荷物は重し汗は流れる非常に困難したるが、アンチンは元来お心よしの僧で少しも悪意はない人物であるから正直に荷を負ふて先きへ行く、チモシイは道楽坊主で酒も飲み賭博もする魚も食ふ、オマケに全身豚のやうに肥えた大入道でありまして後から荷物を負ふて苦しげに歩みつゝ、何か善い方便を回らして此重荷を寺へ送らうと思案して参りました。良々久しくして二人は一の林の所に来ると一頭の驢馬が木に繋いである、チモシイはこれ幸と荷物をおろして驢馬に載せ、アンチンの荷物もおろさせて之を積み、此馬を寺へひいて行くやうにとアンチンに申しますから、アンチンは何の分別もなく、驢馬をひいて寺へ還りました。然るにチモシイは驢馬の手綱を解きて己が首に纏ひ一方の端を樹に繋いで其蔭で午睡(ひるね)して居りました。すると驢馬の主人たる次郎は山より薪を伐りて出て来て見れば驢馬は何時の間にやら大入道となつて居る。そこで呆然自失、如何(どう)したことかと見てあるに、チモシイはやほら身を起こし、空涙(そらなみだ)を流して申しますには次郎さん私は隣村の山寺に住むチモシイといふ雲水で御座りますが、余り多く魚を食ふたり酒を飲んだりした為めに現身に驢馬と化して、御前(おまへ)の家に買はれて行き、それよりといふものは夏となく冬となく追ひ使はれ草と藁ばかり食ふて苦役をした。
それで漸く罪も滅びて再び元の出家の体に立ちかえつた。どうぞ一旦驢馬となり主人となりて御前さんと主従の縁を結んだものだから、今晩は御前さんの家に泊めてくだされといへば、次郎は気の毒に思ひ、貴僧と知らばあのやうに使ふではなかつたものを、知らぬことゝはいへ、可愛さうに甘いものも食べさせず、定めて辛いことであつたらう。そのかはり今晩は少
し御馳走を致さう程に堪忍してたまはれといふ。チモシイはこゝぞとつけ入り、然らば主人の御心に従ひ今晩は充分酒肴を頂戴致しますとて、二人つれだちて次郎の家に戻りまして次郎は早速其妻や下男に命じて酒肴の用意を十二分に致しチモシイをもてなせば、チモシイは長鯨の百川を吸ふが如くといふ古人の形容の如く、杯を左手に持ち右手に箸をとりて飲みては食ひ食ひては飲み、息をもつかず飲食すれば次郎は大いに心配して其様に飲食して再び驢馬になつてはならぬ、静かに召し上れといふに、チモシイは長の年月草と藁のみ食したれば空腹にて致し方なし、仮令再び驢馬にならうとも飲める丈け飲み食へる丈は食はせ給へとて、熾んに飲食し、酔眼朦朧となりて[治郎]が妻に戯(ざ)れ言さへいへば治郎は一方ならず心痛して、辛くも其夜はチモシイを臥床に睡らせました。翌朝に至りてチモシイは大きに厄介になりしとて治郎の家を立出て悠々と山寺へ帰りまして、方丈に面会し、昨日アンチンのひき来れる驢馬は隣村の治郎が菩提の為めに寄付するとのことで御座ると申上れば、方丈は[其]は殊勝のことなり、されど山寺にて驢馬は不用なれば市に売りて金にせよとて、馬市場に出しました。治郎は驢馬を失ひましたから市場に出て善き馬を買はんと彼処此処を見回すに、チモシイと全く同じなる驢馬のあれば、非常に駭きまして、折角、出家にかへつたばかりに余り多く飲食して再び驢馬になりましたものと思ひ、馬の耳に口を寄せて、チモシイ、御坊は私の言ふことを聞かず余り多く食ふたから又も驢馬になりなされた。併し私が買ふて大切にしてやるから安心しなさいと細語けば、驢馬は耳の中に風の入りたるに心地悪しと思ひけん、ブル/\と耳を振れば、治郎はチモシイ、御坊は知らぬ顔しても、それはいけぬ、私は御前の毛色を善く知り居るとて其驢馬を買ふて帰り、チモシイと名けて一生大切に飼ふて置いたといふ。
這は幼穉なる人民が阿呆らしき迷信を懐けるを笑ふた物語でありますが、今日文明と称する国々にも以上の物語と大差なき迷信は多く行はれつゝある。
我国に於ても兎角小供らしい奇談怪説を好んで宗教に付加し、又病的なる信仰の蔓延するは好ましからざることである。宗教は其様に変幻奇怪なるものではない、真面目のことで、吾人の毎日毎日の勤めが宗教である、毎日の努めが修行である。されば百丈は
  日日是好日
とて一年三百六十五日一日として悪しき日はない、皆仏法修行をなすべき好日であると示され、涅槃経には
 如来の法中には吉日令辰を選択することなし
と示されてある。故に栽松道者は松を植ゑて修行し、六祖大師は米を搗きつゝ御修行なされたのであります。カアライルの語に
 最も高きに達する道途は最も低き所に横はる
とある如く吾人が平生の卑近なる義務の中に高尚幽玄なる道は存在して居るのである。王陽明も
    饑來喫飯倦來眠、  只此修行玄更玄、
    説與世人渾不信、  卻從身外覓神仙

    (饑來レバ飯を喫シ倦ミ來レバ眠ル、只此修行玄更ニ玄ナリ、
    與スレバ世人ニ説渾ヲ信不、却テ身外ニ従テ神仙ヲ求ム)

といふて喫茶喫飯の平生の修行が玄中更に玄なるを知らずして神仙の道を他に求むるを戒めた。基督も
 神の国は顕はれて来るものにあらず、此に見よ彼に見よと人の言ふべき
 ものにあらず、夫れ神の国は爾等の裏にあり
と申して神の国は吾人の裏にあるを示した。また大祖国師は
 茶に逢ふては茶を喫し、飯に逢ふては飯を喫す
といはれて日用喫茶喫飯の外に六づかしい悟りがあるではないと示されました。洵に其通りで茶に逢ふては任運に茶を喫し、飯に逢ふては無分別に飯を喫することができれば最早大安心を得たのである。然るに吾人には容易に茶に逢ふて任運に茶を喫することができず、飯に逢ふて任運に飯を喫することができぬ。茶に遇ふては種々の妄想を起し、飯に遇ふてはさまざまの下劣なる慾望を起して心中常に波瀾を生ずるのである。悟りといふも證果といふも畢竟は一心其物にある。誌公の語に 即心即仏を解せざれば驢に騎りて驢を覔むるに似たりとある。西洋の或精神病患者は身体の感覚を全く失ふたる為め、自己の身体は久しき以前に死して生滅したりと信じた。而して医師が患者の腕を圧す時は患者は駭いて、腕があつたとて喜び、看護婦が其頭を圧せば、我頭があつたとて喜び、鏡を見すれば非常に其頭首の存在を見て打喜び、炭酸浴に入れて全身を刺戟したるに全身が復活したとて喜んだといふ話しがある。即心即仏を解せざる人も亦此精神病患者の如くであります。
要するに禅の要は当意即妙で、柳暗花明、艶桜素梅、物に当り事に感じて其天真の妙を掬するなあり、俳人芭蕉の大悟せしといふ古池真伝なるものは小築庵春湖の上梓したるもの、元より史的事実としては見難からんも、禅の妙味を知るに於て一助たるに足らんと思へば、こゝに引證して読者の為めに指注することゝせん 常州鹿島根本寺仏頂長老、博覧大悟の知識なり、桃青翁旧交の師なりと始めに記してある、芭蕉と仏頂和尚との関係は和尚が江戸深川の臨川寺長慶寺などへ在住の時、芭蕉と玄機を談じたるものゝ由、臨川寺は本は臨川庵とて芭蕉の住庵なるを仏頂和尚が上京する度毎に之に宿して芭蕉と禅を談じたるが、天和年中、芭蕉を開基とし仏頂和尚を開山として臨川寺としたりといふ。芭蕉に鹿島紀行あり、曽良と共に根本寺に至りて仏頂和尚に見えたる時、
    月はやし梢は雨をもちながら
    寺に寐てまこと顔なる月見かな
    雨に寐て竹おきかへる月見かな      曽  良
   をり/\にかはらぬ空の月かけも
    ちゞのながめは雪のまに/\       仏頂和尚
の詠あり、何れにしても芭蕉は仏頂に参して玄機を味ひたるに相違はない。
それより次の文に
 近来江戸深川長慶寺へ移転せられたるに桃青を訪はんとて六祖五兵衛を
 供して芭蕉庵に至る
とある。六祖五兵衛は仏頂和尚の僮僕にて六祖と渾名し、一丁字をも解せざれども仏頂に参して徹底したる奇人にて芭蕉が悟道の友なる由、次に 六祖先づ庵に入りて、如何なるか是れ閑庭草木中の仏法、桃青答て曰く

 葉々大其底者大、小底者小
六祖先づ問ふて如何是閑庭草木中仏法といふた、仏法とは道のことで、つまりは吾人が安住の地であります。されば閑庭草木中の仏法とは寂々寥々たる芭蕉庵の草木の中に居て翁が安住する処は那辺ぞと問ふたのである。
古人が石頭大底者大小底者小といはれた如く、青々たる大小の木の葉の中にも、大石小石の碌々たる中にも真如の俤は見え、安心の地はある。昔し唐の代に有名なる学者の李翔が楽山禅師に問ふ、「如何是道」と、仏法といふも道といふも同じであります。楽山此時指を以て天を指し、また水瓶を指していふ、「会すや」、会すやとは理解したかとの意である。李翔云く「不会」、わかりませぬ。楽山便ち、「雲は青天にあり水は瓶にあり」と申されました。
 夫より長老内に[入]り、近日何の有る所ぞ。桃青答へて曰く、雨過洗青苔(雨過テ青苔ヲ洗フ)
それより仏頂長老が庵に入りまして問ふ、近日何の有る処ぞ、近頃は何か変つたことでもあるか、平生安住の地は如何と一拶せられた。芭蕉は何処までも目前の境を以て答へ、昨夜の雨が庭中の塵を洗ひ去りて青苔も一層の青さを増して閑雅の趣を添へましたと答えた。此頃は芭蕉も余程修養を積んで造詣する所が深くあつたに相違ない。
 又問ふ如何なるか是青苔未生以前の仏法とある時、池辺の蛙、一躍して
 水底に入る音に応じて、蛙飛込む水の音と答ふ
仏頂和尚は再問して、雨過洗青苔といふ目前閑雅の境になりきつた所はよいが、更に青苔未だ生せず、草木国土も未だ生せざる所、如何に安住の地を求めんかと深刻なる問ひである。大概の人は此問ひには答へられぬのであるが、流石は蕉翁、蛙の水に飛込むを其儘に何の造作もなく、蛙飛込む水の音と例の俳諧句調にて、すら/\と答へたるは実地に踏着したる漢である。
 仏頂長老、珍重珍重と唱へて持玉ふ所の如意を桃青に授与す
仏頂も是に於て賛歎しまして珍重珍重といはれ、蕉翁の悟道の證として如意を授けられた。如意とは笏に類したる法器であります。
 長老席上に紙毫をとりて、本分無相、我是什歴物、若不会、為汝等諸人
 下一句子、看看、一心法界、法界一心、と書して諸風子に示し給へば、
 其時始めて法界と一心の水音に耳ひらけて、実に桃青翁の省悟を各ゝ随喜
 しけるとなり
 (本分ハ無相なり、我ハ是なに物ゾ、若シ会セ不レバ、汝等諸人の為メニ、
  一句子を下サン、看ヨ看ヨ、一心法界、法界一心)
因みに仏頂長老其席上にて筆をとり紙を伸べて記したる文句に、本分無相、我是什歴物とある、本分とは前に謂ふ所の道とか、仏法とかあるのと同じで、道といひ、心理といふ元来一定の相状のあるものではない、我といふも畢竟は何物であるか、若し会せされば、若し了解ができぬならば、汝等諸人の為めに一句を下して見せやう。見よ、一心法界、法界一心で、法界といふも宇宙といふも同じである、宇宙は即ち一心、一心は即ち宇宙、と記された。そこで芭蕉の門弟衆も師翁のいふたる蛙飛込む水の音の一句に一心法界の旨を道破せられたるを知り各ゝ其省悟を喜びました。
 このとき杉風謹で桃青翁を賀して、我師風雅に参禅の功を積で、今に水
 音大悟の一句に仏頂長老證明付法の如意を授け給へば、今は天下に宗匠
 たるばしとて賀儀をのぶ
杉風は芭蕉の弟子であります、時に杉風の申すには我師蕉翁は風雅を弄ぶ中に参禅して今は水音の一句に仏頂長老の印可もあれば、これより天下の宗匠たるべしとて喜び祝ひましたのである。
 嵐雪が云ふ、水音に俳骨こと/゛\く連続すといへども、未だ冠の五字を
 きかず、師是を定めたまへ。翁のいふ、我もこの点を思へり、しばらく
 諸子の高論を聞て、而後に定めんと欲す、ニ三子試にこの冠五をいへ、
 きかん
時に嵐雪の云ふには水音の一句は俳諧の下の句にて完全に出来たれども未だ冠の五字が不足して居る。願くは師翁之を定め給へといふた。依て芭蕉は諸子の高論を聞て後に自ら定めんとて、先づニ三子の技倆を試みんとしたのである。
 各ゝ首をかたぶけて練思す。やゝあつて、杉風、「宵闇や」の五文字を出す。
 嵐雪は「淋しさに」と伺ふ、其角ひとり「山吹や」と色即是空々即是色の曲をつ
 くして其姿を調へんとす。翁つく/゛\と見て云ふ、吾子等が冠五各ゝ一理
 を含んで平生の句にまされりといふべし。就中其角が「山吹の」はなやかさ、
 ちから有て好し。さりながら、かゝる七五の冠たてんは観相見様の理を
 離れて、只此庭のこのまゝに、我は「古池や」とおき侍らんとあるに各ゝあつ
 と感じ入る。
各ゝ首を傾けて考へたるが
    宵闇や蛙飛込む水の音    杉 風
    淋しさに蛙飛込む水の音   嵐 雪
    山吹や蛙飛込む水の音    其 角
とつけたるに、蕉翁はニ三子の句を讃め、殊に其角の「山吹や」の一句、花やかにして力ありといひたるが、我は只此庭の儘をとて、古池や蛙飛込む水の音と定めたれば一同アツとばかり感じ入つたとのことであります。
 古池や蛙飛び込む水の音、妙なるかな。爰に俳諧の眼ひらけて天地を動
 かし、鬼神を感ぜしめぬべし。是こそ敷島の道ともいふべく、仏をつく
 る功徳にもたくらぶべけれ。人丸の陀羅尼、西行の讃仏来も、わづかに
 一七字の中にこめて向上の一路に遊び、真如法性の光をはなたれて遠く
 天下の俗誹を破る。今時の俳人を正風の真路に導かんこと此翁なり、嗚
 呼、天地風雅也、万象風雅也
これは記者の文にて蛇足の嫌ひがあります。何は兎もあれ芭蕉正風の俳諧には天地を洗ひ清むるの力があるやうに思はるゝ。天目中峰和尚の句に
    印破虚空千丈月、洗清天地一林霜
    (破ス虚空ヲ印千丈ノ月、清ス天地洗一林の霜)
とあるが、此間の消息は禅者が胸中の風月である。

    箔ぬりの仏も人の案山子哉    環 渓
    世の中は三分五厘梅の花     物 外
      

注:
桔据勉励: 底本 桔の字は「手偏に吉」
大廈(たいか): 大きな建物。立派な建物
嬰孩(えいがい):赤ん坊
褓襁(おしめ):おしめ
黄蘗希運(おうばくきうん):中国唐代の禅僧
踟蹰(ちちゅう): 躊躇すること
幼穉(ようち)
現身(げんしん):仏教用語・現世の姿
一丁字(いっていじ):一文字

国立国会図書館デジタルコレクション

2017年8月21日月曜日

世事百談 巻之三  欺て寃魂を散

世事百談 山崎美成 青雲堂英文蔵梓 天保十四年十二月(1844)

巻之三 

    欺て寃魂を散(あざむきてゑんこんをさんず)

人は初一念(しよいちねん)こそ大事なれたとへば臨終一念の正邪(しやうじや)によりて未来善悪
の因となれる如く狂気するものも金銀のことか色情か事にのぞ
み迫りて狂(きやう)を発する時の一念をのみいつも口ばしりゐるものなりある
人の主命にて人を殺(ころす)はわが罪にはならずと云をさにあらず家業といへ
ども殺生の報はあることゝて庭なる露しげく[お]きたる樹(き)をゆりみよと
101
こたへけるまゝやがてその木(こ)の下(もと)に行て動しければその人におきたる
露かゝれりさてその人云やう怨みのかゝるもその如く云つけたる人よりは
大刀取(たちとり)にこそかゝれといひしとかや諺にも盗(ぬすみ)する子は悪(にく)からで縄とり
こそうらめしといへるはなべての人情といふべしこれにつきて一話(はなし)あり何
某(なにがし)が家僕(かぼく)その主人に対し指(さし)たる罪なかりしがその僕(ぼく)を斬(きら)ざれば
人に対して義の立(たゝ)ざることありしに依(より)て主人その僕を手討にせん
とす僕憤り怨(うらみ)て云吾さしたる罪もなきに手討にせらる死後
に祟りをなして必取殺すべしと云主人わらひて汝何ぞたゝりを
なして我をとり殺すことを得んやといへば僕いや/\いかりてみよとり
殺さんといふ主人はらひて汝我を取殺さんといへばとて何の證(しよう)もなし
今その證を我にみせよその證には汝が首を刎(はね)たる時首飛で庭
石に齧(かみ)つけ夫(それ)をみればたゝりをなす證とすべしと云さて首を刎
たれば首飛びて石に齧つきたりその後何のたゝりもなくある人
その主人にその事を問(とひ)ければ主人こたへて云僕初(はじめ)はたゝりをなして我
を取殺さんとおもふ心切(こゝろせつ)なり後には石に齧つきてその験(しるし)をみせん
とおもふ志(こゝろざし)のみ専(もは)らさかんになりしゆゑたゝりをなさんことを忘れて死(しゝ)
たるによりて祟なしといへり
102

101-102
国文研究資料館 国文研鵜飼

2017年8月20日日曜日

教訓世界お伽ばなし 頓智の首斬

教訓世界お伽ばなし 園部紫嬌 著 石塚松雲堂  明治44.2 1911
頓智の首斬
 『ア痛いと気を変えさせ。』
 むかしは一寸(ちょいと)仕(し)た罪でも首を斬られたもので、此の罪人の首を斬るために、お役人とは云えぬが、穢多の頭なぞがその役目を代々親譲りで勤めたものだ、其の役目を勤めて首斬りの名人と云われた、首斬浅右エ門(くびきりのあさえもん)と云うた男が、或る時刑場(しおきば)で両人(ふたり)の罪人を並べて首を斬った時に、一人の罪人は、
 『俺が首を斬られたら、向うの砂利に喰ひ付いてやる。』と云い、又一人の罪人は『俺は首を打たれたら、大刀取(たちとり)[首を斬る人]の咽喉笛(のどぶえ)へ食らい付くからそう思え。』と、さも口惜(くや)しそうに唸りながら、浅右衛門の顔を睨んだ、スルと流石に浅右衛門、何を云うかと云う風で、別に恐いの恐しいのと云う風姿(そぶり)はなく先ず刀へ水を掛けさせ、万事式(かた)の如く仕(し)て、最初一人の首を斬ると、何(ど)うでしょう、人の一念(おもい)は恐いもので、云うた如(とお)り首斬り場の向うに敷いてある小砂利へ、罪人の首は飛んで行って喰らい付いた、観る者皆慄毛(おぞげ)を振って恐れ、此次の奴の首は浅右衛門の咽咽笛へ食い付くだろう、サア大変な事に成ったと、浅右衛門の容姿(ようす)を眼を円(まろ)く仕(し)て観て居ると、其人は少しも愕(おどろ)かず、益々沈着の体度(たいど)を示し、静に罪人の背後(うしろ)へ廻って、前の如(とお)り刀へザブリ、式(かた)の如く凡てあってヤッと云う掛声諸共、首は前へ落ちたかと思うと、最初の一大刀(ひとたち)は胸打(むなうち)で、刀(は)の無い方で首筋を打ったから、痛いと罪人が思った処へ、二度目の大刀(たち)をエイと下して、美事に首を斬ったので、ソリャこそ咽喉笛と思いの外、反ってその首は意気地もなく、コロ/\コロと転げて斬穴(きりあな)へ落ちたので、見て居る者は力が抜け、何(ど)う仕たことゝ、浅右衛門の顔を眺めた。
 スルと浅右衛門が笑うて云うのに、『突然(いきなり)此奴(こやつ)の首を斬れば、前の如(とお)り、屹度(きっと)咽喉笛に食い付くに違いない、処で一度胸打をくわせ、食い付こうと思い詰めた一念を、ア痛(いた)と他へ転じさせ、其処(そこ)で俄に首を斬ると、何も思はぬ首になって、是れ此通(このとお)りコロ/\と転げるのだ。』と云ったので、流石は首斬浅右衛門程あり、時に取っての好い頓智と、見た人聴いた人々は何(いず)れも感心したそうです。

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皿屋敷於菊之実伝 (久米平内)

皿屋敷於菊之実伝 泉竜亭是正 作 桜斎房種 画
編輯兼出版人 羽田冨次郎 明治十六年五月二十一日御届 (1883)
上之巻 (久米平内)

----されば又そのころ粂平内(くめのへいない)というものあり、元来強気(けんらいごうき)にして、剣術捕手(とりて)の名人と世上に聞え高ければ、青山一人おもへらく「我が盗賊掛りにて召し捕ることを旨(むね)とせば、斯くなる者を抱へなば、我片腕ともなるべし」と主膳は手づるを求め平内を招きしが、粂は早速罷りせし、青山大いに喜び先ず酒食を取り出(いだ)し厚く饗応してのち、わが役儀に随身ならんとことをすゝめしが、粂は一儀にもおよばず青山に身を寄せ、然(しか)してのち、罪人首切りを願いしかば、主膳は喜びなゝめならず、斯くなることをのぞまるゝは誠に武士の本意なりと、平内をそんきょうして、是より科人首切り役を云つけゝる。
 傳へきく、すいきょう人山田浅右衛門は、一代に千人つかを一本建しときゝしかども、粂の平内は一代にして二本迄たてしと聞く。蓋しこの千人塚とは、罪人の首千人切る時は一本をたてるが例なり。
 されば罪人己が科ありて首切らるゝに、なんぞや太刀(たち)とりを恨むる筈はなけれども、多くは最期の一念その切り手を恨むや平内亡死(ぼっし)てのち伜が枕べに顕れ「我れ此の世にありし時多くの罪人を手に懸け、その報いにや未来の苦患(くげん)、のがるゝ隙なく、願うは此の身の姿を刻み人立ち多き所へ捨て置き風雨にさらし数多(あまた)の人が土足に懸けて踏み付けなば罪障生滅(ざいしょうしょうめつ)うたがいなし」と夢見ることの両三夜(りょうさんや)、粂が伜は大いに歎き「さては父上この世にて罪有るものとはいゝながら、多くの人を手に懸けし其の罪科(とが)のおそろしく、いまだにうかみたまわずや」と、はふり落(おつ)る涙をはらい、父が夢中(むちゅう)に知らせし通り石にて平内が姿をきざませ、往来茂き所といえば浅草雷神門まえへうち捨て罪障生滅の為、風雨にさらし人びとに土足にかけて踏み付けよと道路へまろましありけるを、いつしか世人(せじん)の聞違(きゝちが)い、男女(なんにょ)に限らず縁遠きは文(ふみ)をつけて願い事なせし、風雨にさへもさらされずいつの世にか一宇を建て浅草寺(あさくさでら)の境内にて、いまは一社の末社(まっしゃ)となり参詣茂くありけるは、こは則ち大慈悲の救いによりて平内も往生得脱(おうじょうとくだつ)為す-----


単純翻刻

○引渡せば----されは又そのころ
粂平内(くめのへいない)といふものあり元来強気(けんらいごうき)にして
剣術捕手(とりて)の名人と世上に聞(きこ)へ高ければ
青山一人おもへらく我盗賊掛(わがとうぞくかゝり)にて召捕(めしとる)[こ]とを□

□旨(むね)と
せば
斯(かく)なる者
を抱へ
なは我
片腕と
もなるべしと⦿

⦿主膳は
手づるを求め△

△平内を招きしが粂は早
速罷りせし
青山大ひに
喜び先(まづ)酒食
を取出(とりいだ)し厚く饗
応してのちわが
役儀に随
身[な]らん
ことを[ことを]すゝめしが
粂は一儀にも
およばつ青山に身を寄
然(しか)してのち罪人首切り
を願ひしかは
主膳は
喜び■

■なゝめ
ならづ
斯(かく)なること
をのそまる
るは
08
誠に武士の
本意なりと平内を
そんきやうして是より
科人首切役を云(いゝ)
つけける傳へきく[吹挙](すいきやう)
人山田浅右衛門は一代に千人つがを
一本建しときゝしか
ども粂の平内は
一代にして二本迄
たてしと聞蓋し
この千人塚とは罪人の
首千人切時は一本をたてる
が例なりされば罪人己科(ざいにんをのれとが)ありて

首切(くびきら)るゝになんぞや太刀(たち)とりを恨むる
筈はなけれども多(を[ふ])くは最期の一念その
切手を恨むや平内亡死(ほつし)てのち伜が枕べに
顕れ我此世にありし時多くの罪人を
手に懸けその報ひにや未来の
苦患(くげん)のがるゝ隙なく願ふは此
身の姿を刻人立をふき
所へ捨置(すてをき)風雨にさらし数多(あまた)
の人が土足に懸けて踏付(ふみつけ)なば罪
障生滅(ざいしやうしやうめつ)うたがひなしと夢見ることの両三夜(りうさんや)○

○粂が伜は
大ひに歎きさては
父上この世
にて罪有(つみある)
ものとはいゝ
ながら多([をふ])くの人を
手に懸け
し其罪
科のを
そろしく
いまだ
にうかみ
たまわづ
やと

ふり
落(をつ)る涙(なみ)だ

09
はらい父が夢中(むちう)に知らせし通り
石にて平内が姿をきざませ往来
茂き所といへば浅草雷神門まへ
へうち捨罪障生滅の為風雨に
さらし人びとに土足にかけて踏
付よと道路へまろましあり
けるをいつしか世人(せじん)の聞違(きゝちが)ひ
男女(なんによ)に限らず縁遠きは文(ふみ)を
つけて願事なせし風雨に
さへもさらされづいつの世にか
一宇を建(たて)浅草寺(あさくさでら)の境内
にていまは一社の末社(まつしや)となり参詣(さんけい)
茂くありけるはこは則ち大慈悲の

救ひによりて平内も往生得脱為(をうせうとくだつなす)
時ならん------
10

8-10
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2017年8月19日土曜日

捕物の話 火付盗賊改 首斬朝右衛門

捕物の話 三田村鳶魚 著 
早稲田大学出版部 昭和9年 (中公文庫 1996)

火付盗賊改 首斬朝右衛門

 火方盗賊改が新任されますと、その祝に松右衛門、善七が押かけて来る。さういふことは他の御役には無いことです。その来た時の様子が、津村淙庵(つむらそうあん)の『譚海(たんかい)』に書いてありますから、それを出し置きませう。

江戸にて火事御役(十人火消)加役(火方盗賊改)など仰付らるゝ時は、境町葺屋町(さかひちやうふきやちやう)等の三芝居の座本太夫祝儀にまいる例也、庭にすぢを割して堺をたて置、品川浅草の乞児(こじき)の長、松右衛門善七たちつけ羽織にて、玄関の左右の土間に坐し、式台に手をかけながら、此度は結構なる御役儀蒙らせられ、恐悦に存し奉るよしをのぶる、用人玄関に坐して礼をうくる、扨(さて)詞儀畢(じぎをはり)て、三芝居の者共御祝儀に参上致候よしを相述(あひのべ)、松右衛門善七左右にわかれ、向ひ坐する時、勘三郎(かんざぶらう)羽左衛門(うざゑもん)勘彌(かんや)等麻上下(あさかみしも)にて、門のくゝりより入(いり)、土間の堺をたて置たる所に座し、同様に祝詞を述、退出する事なり。

 いろ/\役向や扱に就て変つたこともありますが、その中でも非人頭が挨拶に来るといふことは珍しいと思ひます。そればかりではない、新任の披露状を首斬朝右衛門のところへ遣る。これは山田朝右衛門殿、誰組誰といふので、組下の与力両人の名前で、披露状を出す。かういふことも外の役には無いやうです。この文段も全文出し置きます。

以手紙致啓上候、然者此度誰々跡御役火付盗賊改被仰付候間可被得其意候、右之趣申入候様、頭申付候間如此御坐候。

(手紙を以て啓上致し候、然れ者(ば)此度誰/\跡御役火付盗賊改仰せ付け被(ら)れ候間其の意を得被(ら)る可(べ)く候、右之趣(おもむき)申し入れ候様、頭(かしら)申し付け候間此(かく)の如くに御坐候。)

 それから死罪の者がありました時、同心を使にして、火方盗賊改の役所から朝右衛門の出役を求めます。その手紙も珍しいものと思ひますから、文例を出して置きます。

明幾日、牢屋敷何時揃二而(て)、死罪之者何人御仕置申付候間、例之通(れいのとほり)御出役(ごしゆつやく)可有之候(これあるべくさふらふ)。以上。
  月 日

 首斬朝右衛門といふと、誰でも知つて居(を)りますが、あれは町奉行の役人でもなければ、牢屋の役人でもなし、火方盗賊改の役人でもない。幕府の役人では無論ありません。誰の禄を貰つてゐる人間でもないのです。一体死罪、斬罪等の者の首を討ちますのは、町奉行の方とすると、一番年の若い同心の役になつてゐるのですが、火方盗賊改に致しても、やはり同心の役になつて居(を)ります。この浪人山田朝右衛門は、いつからさういふ慣例になつてゐるかわかりませんけれど、首斬役の同心と相対(あひたい)で代役をする。その時は検使として御徒目付、与力、同心等が牢屋の役人と共に立合ふのですが、皆慣例を承知して居りますから、別に何とも云ふ者も無い。それから面白いことは、当役の同心が実際に首を討ちますと、刀の研代(とぎだい)として二分づつ下されがある。それを朝右衛門に譲つて首を討たせますと、二分は自分のものになるのみならず、朝右衛門は諸家から刀を試して貰ひたいと云つて頼まれて居りますので、その方から礼を貰つてゐる。だから役を譲つた同心の方へは、朝右衛門から礼金が来る。さういふわけで自然役を譲るやうになつてしまつたのです。
 牢屋の中で首を討つのは、獄門になるのもやはり牢内で斬るのですが、斬罪と申ますのは刑場へ引出(ひきだ)して斬る。死罪は牢屋の中で首を斬るのです。その外に下手人と云つて、死罪になる者がありますが、此等は皆首を刎ねる。そううち様物(ためしもの)と云ひますと、これにもいろ/\作法がありますが、二ツ胴、四ツ胴などと云つて、死骸を重ねて斬る。さうして刃物を試すことになるのです。普通様物(ためしもの)と云ひますと、獄門は勿論、斬罪、下手人は様物(ためしもの)にしない。死罪になるものだけを様物にする。本来刀剣の試しを致すのでありますから、様物にしていいと法律に規定してある罪人だけを、朝が斬る筈なのですが、他の死刑になる罪人をも扱つたらしい。厳密に云へば様物(ためしもの)になるものだけでなければならぬわけなのです。
 麹町平河町(かうぢまちひらかはちやう)の朝右衛門の宅では、金二分づつ出すと、労症(らうしやう)の薬といふものをくれる。それには人胆(じんたん)が入れてあると云はれて居りました。果して人胆が入つてゐるかどうか、わかりはしないのですが、江戸時代にはさう云つて騒立てたものなのです。朝右衛門の宅では、今日は幾人死刑になる者があるといふと、その数だけの燈明を上げて出役する。一つの首を討つとその燈明が一つ消える。二つ討てば燈明が二つ消える。つけて行つただけの燈明が皆消えると、もう御役が済んだ、と家(うち)の者が云つたといふ、怪談じみた話も伝はつて居ります。
 この朝右衛門が何時から首斬役になつたかと申しますと、深川霊巌寺の境内にある成等院(じやうどうゐん)、これは紀伊国屋文左衛門の墓があるので知られてゐる寺ですが、そこに罪人を千人斬つたから、供養の為に建てたといふ、六字名號(ろくじみやうがう)を三方に彫つた六尺有余の石塔があつたさうです。これは只今もあるかどうか存じませんが、承応二年九月一日(じつ)と書いてあつたといふことです。承応二年までに千人も斬つたといふことになりますと、朝右衛門の首斬も新しいことでないやうですが、これは直ぐ丸呑にするわけにも行かないかと思ふ。といふのは、朝右衛門には前任者があつたといふことだからであります。
 小石川の砂利場に文政頃まで御留守居与力を勤めてゐた鵜飼十郎左衛門といふ人があります。場末のことでありますから、あまり人の目にもついてゐなかつたのでせうが、この鵜飼の家の茅葺の長屋門といふものは---二百石貰つてゐるのですから、さうえらいものではないんだけれども、その門桁に大きさ一尺ばかりの定紋(ぢやうもん)が嵌込んである。丸い形で木へ彫つたのですが、丸の中に一といふ字を書いた紋が嵌込んであつた。一体門に定紋をつけるのは、大名衆のことでありまして、大名以外の事としては、医者の半井大和守(なからゐやまとのかみ)、これは幕府の典薬頭(てんやくのかみ)だつた人で、この家以外には殆ど無いことでありますのに、鵜飼の家は定紋をつけてゐた。どうしてさういふ格外なことがしてあるかと申しますと、この鵜飼の先代は、若い時には新助と云つた人で、浅草の知樂院(ちらゐん)の中存(ちうぞん)の甥に当る人なのです。これが浅草に居りましたが、恐しい喧嘩早い、無法者で、度度斬つ斬られつの大喧嘩っをやり、当時名高い男だつた。それが後に幕府の御火(おひ)の番に召出されたのです。この鵜飼は山野邊吉左衛門の弟子で、据物斬(すゑものぎり)の名人でありましたから、人、渾名して『据物斬の十郎左衛門』と云つたといふ位である。それは将軍家の御道具御様(おためし)の事を書いたものゝ中に、元禄六年三月二十五日から六月二十七までに、二十六口(ふり)の御用をつとめて、胴試を仰付けられた、といふことが書いてある。無論これだけでは無かつたのでせうが、たま/\残つてゐる御書付にかういふものがあるのです、鵜飼は身長六尺二寸、力量は巣鴨第一と云はれ、やがて二の丸添番(そへばん)に進みましたが、様物(ためしもの)の御用は公儀からだけではなく、頼まれては閣老の下屋敷へ往(い)つて手腕を奮つたさうです、諸大名からも続々依頼がありました、胴を様(ため)すために牢屋から死罪の屍(かばね)を運んで来る、鵜飼は牢屋へ出張(でば)つては様(ため)さずに、屍を自宅へ持つて来させたのです、そこから考へますと首斬同心の代役を買つて出さうもありません、大分威張つたところもあり、おのづから見識も備はつてをります、山田朝右衛門は浪人でありますし、様物にも牢屋へ往き、段々馴合つて胴を様(ため)すのみならず、首の骨も様すやうになつたのでありませう、鵜飼は牢屋から死骸を運ばせたのですから、それが往々門違(かどちが)ひをして隣家を迷惑させたことが屡あつたさうです、是は他の物と違つて、門違ひをされては大変、物が物だけに持ち込まれた家では困るに相違ない、そこで門の桁へ定紋を付ける、当時の鵜飼は百俵五人扶持の分限だつたのですけれども、全く別段の沙汰を受けるやうになつたのでございます。鵜飼は元禄十三年に六十歳で隠居いたしまして、翌年傳通院の祐天和尚について剃髪いたし、名號と袈裟を授りまして、法名を文哲(もんてつ)と申した、今日では所在が知れませんが、その時喧嘩やら辻切やら、壮年から人を斬つた其の数(すう)も千五百人、供養塔を巣鴨火之番町(すがもひのばんまち)の自宅の奥と傳通院開山堂の西後に建てたと申します、この鵜飼が山田の前任者だといふ伝へがある。さうしてこの鵜飼なる者は元禄十三年に隠居したといふのですから、後任者の山田が承応年間に御用を勤めたといふ話は、をかしいやうな気もしますが、何もしつかりしたものが残つてゐないので、どうとも決着することが出来ません。

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2017年8月18日金曜日

太平百物語 巻之一 ○四 冨次郎娘蛇に苦しめられし事

作者 菅生堂人恵忠居士 畫工 髙木幸助貞武
享保十七年子三月吉日出来 (1732)
大坂心齋橋筋書林 河内屋宇兵衞新刊 

太平百物語冠首
市中散人裕佑(しちうさんじんゆうすけ)書

巻之一
   ○四 冨次郎娘蛇に苦しめられし事
越前の国に富次郎とて。代ゝ分限にしてけんぞくも数
多((あまた)持たり人有。此冨次郎一人の娘をもてり。今年十五才
なりけるが。夫婦の寵愛殊にすぐれ生れ付(つき)もいと尋常
にして。甚みめよく常に敷嶋の道に心をよせ。明暮(あけくれ)琴を弾(たん)じ
て。両親の心をなぐさめける。或時座敷の縁(ゑん)に出て庭の[気]色
を詠(ながめ)けるに。折節初春の事なれば。梅に木(こ)づたふ鶯のおのが時
得し風情にて。飛かふ様のいとおかしかりければ

   わがやとの梅がえになくうぐひすは
    風のたよりに香(か)をやとめまし

と口すさみけるを。母おや聞てげにおもしろくつゞけ玉
ふ物かな。御身の言の葉にて。わらはもおもひより侍ると
て取あへず

   春風の誘ふ垣ねの梅が枝(え)に
    なきてうつろふ鶯のこゑ

かく詠(ゑひ)じられければ。此娘聞て実(げに)よくいひかなへさせたま
ひける哉と。互に親子心をなぐさめ楽しみ居(ゐ)ける所に。
むかふの樹木(じゆぼく)の陰より。時ならぬ小蛇壱疋する/\といでゝ。此
10
娘の傍(そば)へはひ上るほどに。あらおそろしやと。内にかけいれ
ば。蛇も同じく付て入(いる)。人/\あはて立出(たちいで)て杖をもつて
追はらへども。少しもさらず。此娘の行方(ゆくかた)にしたがひ行く。母
人(はゝびと)大きにかなしみ夫(おつと)にかくと告(つげ)ければ。冨次郎大きに
おどろき。従者(ずさ)を呼て取捨させけるに。何(いづ)くより来る
ともなく。頓(やが)て立帰(たちかへ)りて娘の傍(そば)にあり。幾度すてゝも
元のごとく帰りしかば。ぜひなく打殺(うちころ)させて遥(はるか)の谷に
捨けるに。又立帰りてもとの如し。こはいかにと切ども突
ども。生帰り/\て中/\娘の傍を放れやらず。両親を
はじめ家内の人/\。如何はせんと歎かれる。娘もいと
11
浅ましくおもひて。次第/\によはり果。朝夕(てうせき)の食事とて
もすゝまねば。今は命もあやうく見へければ。諸寺諸社への
祈祷山伏ひじりの呪詛(まじなひ)。残る所なく心を尽せども。更
に其験(しるし)もあらざれば。只いたずらに娘の死するを守り
居(ゐ)ける。然(しか)るに当国永平寺の長老。ひそかに此事を聞
玉ひ。ふ便(びん)の事におぼし召。冨次郎が宅に御入有て。娘の
様体蛇がふるまひを。つく/\と御覧あり。娘に仰せける
やうは。御身座を立て向ふの方に歩み行べしと仰せに
したがひ。やう/\人に扶(たすけ)られ廿歩計行(にじつほばかりゆく)に。蛇も同しくし
たがひ行。娘とまれば蛇もとまる。時に長老又こなたへ

とおほせけるに。娘帰れば蛇も同じく立帰る所を長
老衣の袖にかくし。持玉ひし壱尺余りの木刀にて。此蛇が敷
居をこゆる所を。つよくおさへ玉へば。蛇行事能はずして。此
木刀を遁れんと。身をもだへける程。いよ/\強く押(おさ)へたま
へば。術(じゆつ)なくや有けん。頓(やが)てふり帰り木刀に喰付所を。
右にひかへ持玉ひし。小剣(こつるぎ)をもつて頭(かしら)を丁ど打落し玉ひ。
はや/\何方(いづかた)へも捨(すつ)べしと仰にまかせ。下人等(ら)急ぎ野辺
に捨ける。其時長老宣(のたま)ひけるは。最早(もはや)此後来(きた)る事努(ゆめ)
/\あるべからず。此幾月日の苦しみ両親のなげぎ。おもひ
やり侍るなり。今よりしては心やすかれとて。御帰寺(ごきじ)あ
12
りければ。冨次郎夫婦は余りの事の有難(ありがた)さになみだを
ながして御後影(おんうしろかげ)を伏拝(ふしおが)みけるが。其後は此蛇ふたゝびき
たらず娘も日を経て本復(ほんぶく)し元のごとくになりしかば。
両親はいふにおよばず一門所縁(しよゑん)の人/\迄悦ぶ事かぎ
りなし誠に有難き御僧かなとて聞人感涙をながし
ける
   評じて曰。蛇木刀に喰付たる内。しばらく娘の事を忘れたり。其
   執心のさりし所を。害し給ふゆへに。ふたゝび娘に付事与(あた)はず。
   是併(しかしなが)ら。智識の行ひにて。凡情(ぼんじやう)のおよぶ所にあらず。誠に此一
   固に限らず。萬(よろづ)の事におよぼして。益ある事少からず。諸人能(よく)思(おも)へかし[候へ]
13

10-13
早稲田大学図書館古典籍総合データベース

注:
11の画は第三話「真田山の狐伏見へ登りし事」の挿絵
第四話の画は、15にある。

2017年8月12日土曜日

今古実録 怪談皿屋敷実記

今古実録 怪談皿屋敷実記 :  栄泉社 明治19年

古今実録序詞
我往古一度文物の端を開き稍(やゝ)盛典の時と得しも中世(ちうせい)の戦国乱離を極め古書歴史は多く兵燹(へいせん)に羅り其存する者数部を闕けり此年歴文物(このねんれきぶんぶつ)も又廃れ学事を保する者纔(わづか)に浮屠氏(ふとし)に過ず近世(きんせい)足利氏以降元亀天正の頃まで武門に博識の徒出(いで)しもあれど猶干[才(戈)]止む時なく文学たま/\公卿武家に波及するのみ期(とき)に僧侶なくんば平家物語太平記諸軍記の編述今世(こんせい)に傳ふるなきに至らん歟(か)故に我国の軍記史略に多く佛語を引く者は蓋し釈氏の手に成しを以てなり坊間貸本と称ふる俗書の今に傳ふるも是又僧徒の著述に成る物数巻(すくわん)その事跡虚を省き最も実に近きを撰(えら)み尚ほ引証に依て校正全き栄泉社中の蔵版に於る世の貸本を網羅して略尽(ほゞつく)せるの功勉(こうつとめ)たりと云も可(か)ならん此(こゝ)に於て今古実録(きんこじつろく)の題名目下世間に普(あまね)きも亦宜(むべ)ならずや以て簡端(かんたん)に序すると爾云(しかいふ)
 明示一九年第四月 佛骨庵主 仮名垣魯文曳誌

怪談更屋敷実記序
名さへなまめく姫路の城下浅山鉄山が下館(しもやかた)とは彼(かの)幕明の置浄瑠理(おきじようるり)其実録を今玆に書綴りたる此史(このふみ)はと云ば弊社の作らしいが一字(すこし)も著述の筆労(ほねをり)なく古昔(むかし)の人の水ぐきの跡を其まゝ梓(デハナイ)活字に拾ひ大安売の二冊もの願ふは四方(よも)の評判ヂヤ/\
                               栄泉社員虚述


  ○粂(くめ)の平内(へいない)由緒生立(ゆいしよおひたち)の事 
        並 盗賊を打果す事
其頃江戸の浪人者ににて粂の平内兵衛(へいないびやうゑ)と云大胆不敵の武士(さふらひ)あり其祖父は織田信長公の足軽を勤務(つとめ)武勇も人に優(まさ)りし者なりしが京都本能寺に於て信長公御生害(ごしやうがひ)有し後其身の生国武州八王子に引籠り剣術を指南なし一生浪人にて生計(くらし)けるが其子薪兵衛(しんべゑ)は父の業を嗣(つぎ)門人も数多有て是も生涯浪人にて世を安々生計(くらし)けるに男女三人の小児(こども)有て男児を平五郎と呼後に平内兵衛(へいないびやうゑ)と號(なづ)く其生質怜悧(そのうまれつきれいり)にして筋骨(すぢぼね)太く逞く身の丈は六尺有余(あまり)にして又力量も双(ならび)なく剣術柔術共に父の極秘を授与(さづけ)られ其成長するに随ひては骨柄芸能(こつがらげひのう)共に父にも優りて一廉(かど)の者なれ共唯大酒(たひしゆ)を好み力量自慢(ちからじまん)にして近郷近在を暴れ歩行(あるき)人を人とも思はず良(やゝ)もすれば無体に打擲する事屡々有しかば父の薪兵衛も之を洩聞て時々異見を加ふれども更に其辞(ことば)を用ひず、父薪兵衛は是を気病(きやみ)になし終(つひ)に空敷(むなしく)なりにける然(さ)れば其後平五郎は倍々(ます/\)自慢の心を生じ今恐らくは我に優りし武芸力量の者近郷近村には是有まじ此上(このうへ)は諸国を武者修行して諸人の腕を試み其後江戸へ出(いで)仕官にも有付べし且(かつ)老母には父の求め置れし田地あれば不自由も有まじ殊更に姉妹等(あねいもとら)傍らに在て労り介抱すれば深く案ずるに及ばず此事母へ告なば歎き悲しみて許し給ふまじ寧ろ一通を遺書(かきのこ)して立退(たちのく)に如ずと思ひ定めて或夜心安き方に至りて一泊し窃(ひそか)に旅(たび)の支度をなし住馴し国を立去(たちさり)名をも粂の平内兵衛(へいないびやうゑ)と改め一先(ひとまづ)川越の城下に到りてニ三日の程逗留し此処彼処(こゝかしこ)と徘徊しけれども是と云相手に立べき者も無(なか)りけるにより不斗(ふと)思ひ出(いだ)せしには上州は百姓町人に至る迄勇気強く武芸を磨く土地(ところ)なれば彼地に到りて力量武術を顕はさんと決定し直ちに上州高崎に到り宿を需(もとめ)日毎/\に相手欲やと心待して居ける折柄此土地近き里の大(おほ)百姓の家に二十余人の夜盗(よたう)入て抜身を鼻の先に突付金銀衣類の在処(ありしよ)をば素直に案内すればよし隠し立して怪我するなと威(をと)し文句で責付られしに大勢なれ共百姓の事故誰とて拒む者もなく生命(いのち)に替る財宝(たから)なしと土蔵(くら)の中(うち)へ案内せし間に小賢(こさか)しき男一人脱出し宿中へ走り行て斯様/\と急遽(あはたゞ)しく喚(さけ)びけるにぞ俄然(にはか)に宿中の者共騒ぎ立(たち)しか共二十人余(よ)の強盗と云ひ殊に得物を持て居るとの事故皆々恐怖(おぢおそれ)誰とて向(むか)はんと云者なく唯々遠巻になし拍子木薬缶の蓋或ひは太鼓の類を手当り次第にグワン/゛\打鳴しけるに彼(かの)平内兵衛(へいないびやうゑ)は寝耳に聞付(きゝつけ)何事の起りしやと様子を聞くに大家(たいけ)へ強盗廿余人押入唯今土蔵(くら)の中(うち)に居るとの事を打聞(うちきゝ)平内(へいない)は雀躍(こをどり)して爰ぞ日来(ごろ)の望む所ニ十人や三十人の強盗共が押入りたりとて何程の事や有んと予て用意の鎖帷子を着(ちやく)しニ尺八寸の新身(あらみ)の業物(わざもの)を帯び三尺有余(あまり)の鉄杖(てうじやう)を携へ飛が如くに駈出(かけいだ)し皆々我に続くべしと云つゝ傍(かた)へを見遣り火鉢の灰を掴み出(いだ)して銘々是を紙に包みて目潰しに打付(うちつけ)べしと指揮(さしづ)をなし又一目散に彼処(かしこ)へ走り着様子を見るに強盗共は緩々(ゆる/\)と土蔵(くら)の中(うち)にて荷作り最中故機(をり)こそよけれと平内(へいない)は持(もた)せ来りし灰を取出(とりだ)し盗人と見たらば無二無三に其灰を投付よあは能(よく)ば擲(なぐ)り倒せと云含め平内兵衛は真先に進み土蔵(くら)の戸口に立塞(たちふさ)[が]り大音声に呼(よば)はりけるは此中(このうち)なる盗賊奴等(どうぞくめら)早/\此所(こゝ)に立出(たちいで)よ片端より細首引抜得さすべし斯云(かくいふ)某(それが)しは日本国中武者修行に数年(すねん)の琢磨を経たる武州八王子の住人粂(くめ)の平内兵衛道則(へいないひやうゑみちのり)なり仮令鬼神(きじん)と雖も我名を聞(きか)ば恐怖(おそれ)戦慄(おのゝ)きて遠く其後を避(さく)るなり我今宵此宿(しゆく)に泊り合せしは汝等が運の尽る所なれば神妙に詫言(わびこと)して退ぞくば生命(いのち)だけは助け得さすべし然(さ)もなくば即座に眼に物見せて呉(くれ)んずと罵りつゝ如何にや如何にと呼はれど盗人共は有無(うむ)の答もなく小癪なり切殺せと云まゝ一同に抜連(ぬきつれ)切(きつ)て懸るに平内兵衛は少も騒がず抜合(ぬきあは)せ上段下段と対戦(あしらひ)居りしが後より追付来りし宿内の若者等十四五人予て平内の指揮(さしづ)に因(よつ)て紙に包みし灰玉を目潰しに投付けるに家内の男等も是を見て得たりや得たりと灰を包み手当り次第に賊の面部へ打付し故盗人共は是に辟易なし其出口をさへ踏迷ひ狼狽廻る処を平内手早く片端より切捨/\何の苦もなく二十余人の盗人どもを切殺しければ此家(このや)の主は云に及ばず宿中(しゆくちう)の者共歓ひ大方ならず平内兵衛が技術(てなみ)を感じ合しが斯(かく)なる上は此死骸を如何致して宜しいからん後々の事を打案じ万一(もし)此儘捨置たらんには仲間の者共何時かは仕返しに来るべしとて評議区々(まち/\)なるを聞(きゝ)平内兵衛は主に向ひ今夜の始末を明細に土地(ところ)の代官所へ訴へ表向指揮(さしづ)に随ひ取計らひなば後/\の愁は有まじと申にぞ是に同意して早速此趣(おもふ)きを訴へければ直様役人等出張なし賊の死骸を検査(あらため)取捨方等(とりすてかたとう)を申付又平内兵衛の働作(はたらき)を感賞し事故なく検使も相済(あひすみ)ければ此家(このや)の主人(あるじ)は大いに歓び全く平内兵衛が勇猛の働きに依て厄難を遁れたりとて厚く謝礼抔(など)して尊敬(そんきやう)なしければ所の者共平内が武術は日本一などゝ評判なすにより今は日来(ひごろ)の慢心百倍し凡そ天が下広しと雖も我に及ぶ者は有まじと思ひ以後他国を廻るも益なき事をて是より江戸に至りて高名なる剣術の師匠を訪(とひ)是を打すゑて技術(てなみ)を顕し過分の禄に有付(ありつか)ん者と心を定め所の人々名残を惜むにも構はず聊か江戸に知音有を頼みにして高崎を打立一先江戸へと赴きけり

  ○青山主膳平内を召抱へ平内首切役を望む事
    並 罪人打首の節頓智及び平内死去の事
却説(かくて)粂の平内兵衛(へいないびやうゑ)は程なく江戸に到着なし本郷辺(へん)に住居を定め剣術指南の道場を開きける所(ところ)僥倖(さいはひ)に門弟等も殖(ふえ)るに随ひ或人の勧めにより妻を迎へ一子迄も挙(もう)けしが天性強気(がうき)の平内故往来(ゆきゝ)の者を打擲などする事屡々有しが其頃江戸に男侠客(をとこだて)と云事の流行し将軍家旗本の中(うち)にも大小神祇組(しんぎぐみ)又は白柄組(しらつかぐみ)などあり町家(ちやうか)にも同く侠客(をとこだて)流行して其中(そのうち)には浪人なども入交(いりまじ)り居(をる)ゆゑ平内も盛り場等(とう)人の群集(くんじゆ)する土地へ出(いで)ては弱きを助け強きを挫きて男を磨きけるに付(つき)自然と人々も尊敬(そんきやう)成して其名最も高く聞えしを青山主膳は疾くも聞込役柄成れば召抱て役に立事も有べしと思ひ自身に粂の宅に到り礼を厚くして懇望(こんまう)成せしに平内には素より小碌(せうろく)の人に抱へられるは不足なりと雖も是も後々には何かの都合に宜しからんと早速に承知せしかば青山の歓悦(よろこ)び限りなく過分の碌を与へ用人並を申付しに同気相求(どうきあいもと)むる主従の縁にや彼(かれ)がする事なす事悉皆(みな)心に適ひしかば青山は倍々(ます/\)不仁(ふじん)の行ひ募り日々平内を対手(あいて)に酒宴を開き又は罪人を責させるを此上(こよ)なき娯楽(たのしみ)と成(なせ)しが或日平内には死罪の者の首切役を懇望(こんまう)しけるに主人主膳是を聞(きゝ)彼が強気(がうき)にては必ず手際も宜しからんと之を許せしが是ぞ首切役の最初(はじめ)なり夫(それ)より伝はりて山田浅右衛門と云者代々其役を勤(つとむ)ると雖も其根本(もと)を訪ぬれば主膳の勤役(きんやくちう)に其役の人を極(きめ)しと云又粂の平内兵衛が千人塚とて罪人の首を千切[た]る故役中(やくちう)に二度迄塚を建し事あり山田浅右衛門も麻布の善福寺に千人塚を建たるは前にも云如く諸人の知る処にして今に存せり然るに粂の平内は或時大勢の死罪人を牢屋の前に居並(すゑなら)べ自ら傍へ立寄(たちより)先最初(まづさいしよ)の一人を切らんとする時罪人は此方(こなた)に向ひ我只今首を切られなば向ふの草へ喰付て見せんと云しに頓(やが)て首が落(おつ)ると其儘言葉に違(たが)はず遥か彼方の草にぞ喰付ける次の死罪人我は那(あ)の石に喰付(くひつか)んと云しに是も同じく前の如く石に喰付たり扨(さて)其次の一人(にん)平内を見て我は切手(きりて)の粂殿に喰付(くひつく)べしと云を聞(きゝ)平内も流石に気味悪く思ひしかども人の見る目も恥ければ屹度(きつと)意(こゝろ)に思案して罪人に向ひ汝(おのれ)今が最期なり覚悟すべしと云(いへ)ば如何にも心得たり頓(やが)て汝(なんぢ)に喰付て見せんと然(さ)も怨めしき顔色にて一念の凝る所をエイト云様(いひさま)刀の峯打(みねうち)になせしかば罪人是はと振向く処を気を抜(ぬき)て何の苦もなく首を打落したり彼(かの)死罪人は張詰(はりつめ)し気も峯打に拍子抜せし所を打落しければ罪人の一念も届かざりしとなり一座の人々其頓智を感じて評判最(もつ)とも高かりけるが夫よりして平内兵衛不図煩ひ付(つき)日々鬱々として居たりけるが小雨の降る日などは数多の首ども眼前(めさき)に顕(あら)はれ粂殿迎ひに参りしぞや率々(いざ/\)早く来(きた)らるべしと云ながら平内に飛蒐(とびかゝ)らんと成(なし)けるを平内臆せず刀おつ取切払へば忽地(たちまち)消て跡もなく白刃(しらは)を鞘に納むれば又顕出(あらは)れて驚かす事其後は昼夜の別(わか)ちなく首の数は漸次(しだい)に増(まし)て或は怨み又は罵り粂殿にははや命数尽たり夫故(それゆゑ)我々打揃ひて迎へに参りしなりいざ倶々(とも/゛\)来れと飛付て手取足取責られしに流石の平内も身体疲労(つか)れ日々に衰弱なしアレ囂(かまび)すや堪難(たへがた)やと狂ひ廻れど彼(か)の首は家内の者に見えずして唯平内の眼前(めさき)を放(はな)れず悶え苦しむ有様を見て人々種々に療養を加へしかども毫(すこし)も効験(しるし)の無くソレ其首を捨よソレ切払へと罵り後には刀を引抜狂ひ廻りけるに付(つき)家内の心配大方成ず終(つひ)には止(やむ)を得ず平内の身体(からだ)に縄をかけ罪人の如く捕縛置(いましめおき)しかば是よりして平内は尚々大声を発して詈(のゝし)り騒ぐ事昼夜絶(たゆ)る間なく汝等大罪人で有ながら卑怯にも我を怨恨(うらみ)斯(かく)苦しむるは何事ぞ其身の自業自得なり未練者めと詈(のゝし)りつゝソレ首打と叫びける故皆(みな)人恐怖(おそれ)て側(そば)へ寄付者なく且は世間へ遠慮も有ば昼も戸障子を締切大概(およそ)百日有余(あまり)苦痛なし終には声も枯切只手足を?く耳なりしが皮肉も摩擦切(こすりきれ)て海老を茹たる如く赤肌に爛れ上(あが)り狂ひ死(じに)にぞ死(し)したりける斯(かゝ)りし程に妻子(つまこ)の歎きは云(いふ)も更なり人々も気の毒に思ひ跡念頃(ねんごろ)に弔ひて七日/\の供養法事も怠りなく執行(とりおこな)ひけるが四十九日に至りし夜(よ)妻の枕辺(まくらべ)に平内来り我生涯の積悪不仁(せきあくふじん)の罪重りて地獄の呵責に寸暇(いとま)なし然(しか)れば其業消滅の為我像を石に彫刻(ほら)せ人足(ひとあし)の繁(しげ)き場所(ところ)へ建置(たておき)て万億の人に曝し呉(くれ)よ然(さ)すれば罪も少しは消滅(めつ)し未来の為にも成らんかといふかと思へば影消て更行(ふけゆく)鐘ぞ聞えける扨は夢にて有しかと妻は此事打案じ人に語るも恥(はづ)かしく一日(ひとひ)/\と過(すぐ)る中(うち)夜毎(よごと)/\の夢の告(つげ)に止事(やむこと)を得ず子息(せがれ)を始め人々いも相談なし平内兵衛(へいないびやうゑ)の石像を彫刻(ほら)せ人足(ひとあし)多きは浅草金龍山(あさくさきんりうざん)なる観世音の境内に超所(こすところ)なしとて百ケ日目に濡仏(ぬれほとけ)を建立して露霜にうたせ未来の苦患(くげん)を助けんと弁天山の近傍(ほとり)に是を建たりけり其後何者が云出(いひいで)けん此濡仏に利益(りやく)有とて人足の絶ざりければ境内の茶店(ちやゝ)揚弓店(やうきうみせ)の婦女共(をんなども)など此粂の平内様へ願へば何事にても叶ふとて尊敬(そんきやう)せし余り小き祠を立て安置しける故愈々市中に評判高く成(なり)信仰人(しんかうにん)は倍々(ます/\)増殖(ふゑ)て其仏力(ぶつりき)を授け給へば立身出世奉公望(ほうこうのぞみ)主従和合(しゆう/゛\わがふ)縁結び又は恋路の取持(とりもち)中にも遊女芸者等(ら)客縁は勿論(もちろん)年明情郎(ねんあけよきひと)に添(そは)るゝとか或ひは金銀の貸借(かしかり)万端(よろづ)の願ひ一ツとして成就せざるはなく殊に一筆(ひとふで)しめしまゐらせ候又は一筆啓上などゝ己(おのれ)/\が祈願(ねぎごと)を文(ふみ)認(したゝ)め捧ぐれば利益必らず著明(いちじ[ろ])しとて祠の中へ投入る手前勝手も多かりけり然るに其頃の事なりしか神田紺屋町に仕入の染物を渡世(とせい)になし相澤屋亀右衛門とて近隣に双(なら)びなき豪家(がうか)にして職人ども日々ニ三十人づゝ立働き男女(なんによ)の奉公人も大勢召使ひ其一家(いつけ)豊に生計(くら)せしが一人の娘有名をお染と呼年は二八の花盛り人の目に立(たつ)愛敬(あいきやう)に一しほ両親(ふたおや)も愛(いつく)しみ深く此隣家(このとなり)に岩国屋半四郎と云紙問屋あり是も福有(ふくいう)の大商人(おほあきんど)にて其家に二人の男子有(なんしあり)惣領を美之助(みのすけ)と呼次男を政次郎と云(いふ)生質肌目細(うまれつきゝめこま)かにして色白く親に勝れし美男なりとの評判なりしが彼娘(かのむすめ)お染は何時しか美之助を見染(みそめ)て恋慕(こひしたひ)けれ共互ひに大家(たいけ)の事故内外(うちと)の人目も繁く言寄間(いひよるひま)も有ざれば心の中(うち)に思ふ耳(のみ)にて日夜胸を焦し居たりしに一日(あるひ)下女共寄集り此頃世間に風聞高(とりさたゝか)き浅草の粂の平内様は其利益著明(あらたか)にして何事も叶はぬと云事なく殊に恋路の取持は速かに叶ふと云噂話しをなし居たるを聞(きゝ)て娘お染は密かに悦喜(よろこび)其翌日母(はゝ)に打向ひア[ノ]浅草の観音様へ百日参りをなせば御両親様を始め家内安全家繁昌し又好縁(またよきえん)をも結び一生夫に見限られぬとか云事を何かの本にて見し事あり何卒(どうぞ)お参詣(まゐり)致したしと強(しひ)ての望みに素より愛子(あいし)の立願故父にも斯(かく)と告(つげ)けるに直(たゞ)ちに許しの出(いで)たるにぞ日頃気に入の下女を招き密(ひそか)に心を打明(うちあか)し倶(とも)に談合(かたらひ)ながら文(ふみ)細々(こま/゛\)と書認(したゝ)め下女丁稚を召連て浅草寺(あさくさでら)へぞ急ぎける折柄其日は十八日の縁日にて参詣人も群集(くんじゆ)するに二人は観音堂を忽(そこ)/\に拝み直様(すぐさま)粂の祠に到り彼(か)の文を捧げて一心不乱に祈願(きぐわん)を籠夫より日々に通ひしが十七日目(ひとなぬかめ)の日(ひ)例(いつも)の如く懇情(ねんごろ)に拝み居たる傍らより供女(ともをんな)が袂を引故何事やらんと振向見れば今も今とて恋慕ふ心の丈を念願(ねんじ)たる彼の美之助が此方(こなた)を指て来るにぞ余りの事の嬉しさに胸轟きて忙然と顔打眺り居たりしが美之助は傍に立寄是はお隣の娘子(むすめご)ひよんな所でお目に懸(かゝ)りました見れば忍びの御参詣而(して)粂さまへのお願は荒増(あらまし)お察し申ましたが世の中にはお羨ましいお人もあるものお楽しみでござりますと云に娘は顔赤らめ如何にも恥らふ有様故彼(かの)美之助は如才なく傍辺(かはへ)の下女に声を掛(かけ)最早(もはや)御支度時分なり奥山を御案内ながらお供を致して参りませうと言(いは)れて嬉しく恥かしく間の悪さうなお染の素振りに下女は傍(そば)から急立(せきたつ)て丁度好お道連サア/\お供と云ふのを機会(しほ)に彼方此方(あちこち)と奥山を見巡(みまは)り其頃名高き菜飯茶屋(なめしちやゝ)へぞ入(いり)にける其後相沢屋の娘は日々浅草へ参詣するに随(したが)ひて顔色(がんしよく)漸次(しだい)に青ざめ何(なに)となく様子も平常(つね)に変りしかば母は大いに案じ供の下女に段々様子を尋ぬれ共最初の程は只管(ひたすら)に押隠して云ざりが猶も種々に問詰られ詮方尽て有の儘少しも隠さず説話(はなし)ければ母親は大いに驚き如何に深く云交(いひかは)すとも一人娘の事故他家へ遣(やる)事も成難く又隣家の子息(むすこ)も跡取の事なれば此方(こなた)へも呉まじ然(さ)すれば互に始終の為ならず然(さり)とて此事父に説話(はな)せば嘸(さぞ)や立腹する成(なら)んと千々(ちゞ)に心を痛めしが年老し手代を招き内々事の始末を言含め隣家(となり)の両親へ密に説話(はなさ)せけるに岩国屋にては此事を聞(きゝ)て以ての外に驚き当家の惣領息子は先般(さきごろ)近所の火事の時踏抜(ふみぬき)をなし凡そ一ヶ月も跡より平臥居(ふせりをり)今に座敷の内さへも歩行兼(あるきかね)る体(てい)なれば勿々(なか/\)浅草抔(など)とは思ひも寄らぬお説話(はなし)なり然し念の為当人を糺すべしとて子息(むすこ)を呼寄せ此趣旨(このおもふき)を申聞(きけ)れば決して然様(さやう)の覚えはなしとの答故右の事情(ことがら)を挨拶しければ手代は早々(そう/\)立帰り母親へ斯(かく)と告るにより母は愈々不審に思ひ供せし下婢(をんな)に再び問(とへ)ど全く前の話に相違なしとの事に付其翌日は供の者にも何か密々(みつ/\)言含め娘に知らせず母親は番頭一人を召連て見え隠れに跡をつけて行とも知らぬ彼娘(かのむすめ)お染は雷神門(かみなりもん)へ至る頃(ころ)例(いつも)の息子と出逢(いであふ)て連立行(つれだちゆき)しは紛ふ方(かた)なき隣家(となり)の美之助なれば母は猶も何処(いづく)へ行かと跡を慕ひ行(ゆき)しに粂の祠へ参詣なし夫より奥山なる彼の菜飯茶屋へ立入ける弥々(いよ/\)怪しく思ひしなれど其日は確乎(しか)と見届し故家に帰りて只一人熟々(つく/゛\)と思ひ廻すに那然確実(あれほどたしか)の證拠あるを憎(につ)くき隣家(となり)の挨拶かな最(も)一度明日付行(つけゆき)て二人共に捕来(きた)り親子三人(みたり)の面(つら)の皮を剥て腹癒(はらいせ)成(なす)べしと余に腹の立しまゝ我娘の恥辱(はぢ)と成にも心付ず足ずも成(なし)て翌日を待兼居たるも女気(をんなぎ)の最愚(いとおろか)なる事共なり

国会図書館デジタルコレクション

ラフカディオ・ハーン『怪談』 Diplomacy(駆け引き)』の原話について
(怪談皿屋敷実録本 粂の平内兵衛と山田浅右衛門の逸話)

2017年8月10日木曜日

粂の平内 (豪傑小説) 百十三 百十四

粂の平内  雨柳子(三宅青軒) 敬文館 1905 明38.3

(百十三)
 庭には荒菰(あらごも)が敷て、其菰の上へ赤城無敵齋(あかぎむてきさい)から千田軍四郎 狼の助五郎と次第を立てゝ、縛(しば)つたまゝで坐らせ、側に水を湛へた手桶を置き、夫れに柄杓が添へてある。
 武藤金吾と本間廉蔵との二少年は、平内の斬り方を見ようと言ふので付て居る。春の夜ながら月は物凄く三人の顔を照す。いかにも忌(いや)な光景だ。
 無敵齋は悔しさうに平内(へいない)を睨むで、「どうせ死ぬる命だから、何となつても構はないけれど、併(しか)し武士たるものを縛り首にするとは酷い。死でも此怨みは覚えて居る」と怒ると、狼の助五郎は歯軋りして、「わツしもさうだ、コウ、平内、人に怨みがあるものか無いものか、よく覚えて居やアがれ」と罵る。平内は打笑ふて、「其方共は何処まで未練な奴ぢや、此後に及び尚世迷言を申すとは笑止の至り、早く念仏でも唱へて往生するが好いぞ。此平内は其方等に怨まれたとて、何の何の」と言ひながら、予(かね)て嫉刃(ねたば)を合(あは)して置た無銘の利刃(わざもの)すらりと抜て、先づ助五郎の後へ廻る。
 助五郎「ウム、おれから斬るのだな、好し、人の執念はどんなものか、其證拠に、向ふの庭石へ咬(かぢ)り着て見せる」と声を顫(ふる)はせる。千田軍四郎は之れを聞て、「助五郎、其方(そち)が庭石へ咬り着くなら、おれはあの桜の樹へ咬り着てやる」と言ふ。無敵齋「おれは振り返つて、此平内の喉笛へ咬り着かねば置ぬ」と叫ぶを、強気(ごうき)の平内何の頓着も無く「詰らぬ世迷言を言はずに覚悟致せ」と言ふ其声もまだ終らぬに、ぱつと濡手拭を振るやうな音がしたかと思へば、助五郎の首は胴から離れて向ふへ飛ぶ。血は泉の如くに上る。
 金吾と廉蔵(れんざう)とが「アツ」と叫ぶに気が付て見ると、これは不思議、助五郎の首は、今言つた通りに飛で往(い)つて、庭石の角へ緊(しつ)かりと咬り着た。さすがの平内も大いに驚いて覚えず立竦(たちすく)みになつて、金吾が其血刀(ちがたな)へ水をかけて居るのも知らなかつた。
 軍四郎「助五郎、出来(でか)した、今度はおれの番だな」と言ふところを、又ぱつと斬ると、首は勢ひよく飛で、桜の樹へがツしり咬り着く。金吾は吃驚(びつくり)して、「先生、御用心遊ばしませ」と小声で言ふ。廉蔵は声を顫(ふる)はして、「お兄い様、無敵齋の首はどんな事を致すか分りません」と怖れる。
 「ウム、ウム」と点頭(うなづき)ながら、平内は血を洗ふた刀を提(ひつさ)げて無敵齋の後ろへ廻る。無敵齋は、「助五郎も軍四郎もよくした。平内、覚悟を仕(し)ろ」と捻向(ねぢむ)く首をぴたりと刀の刃棟(はむね)で撃(うつ)て、其気をぬいて、今度はばつと斬離す。之れに欺(だま)されて、無敵齋の首は前へ落たが、併し此方(こち)らを向て、二度(たび)三度瞬きして、いかにも無念と言つたやうに、凄い眼をして睨むで居る。
 廉蔵「怖ろしい執念で御坐りますな」、 金吾「何とした未練な奴で御坐りませう」と言ひながら、平内の刀へ水をかける。平内は其刀の血(のり)を拭うて、「イヤ、天晴の斬味、無銘ながら確かに名作ぢや」と鞘へ納めて、偖て軍四郎と助五郎の首を査(あらた)めて見たが、これも眼を見張たまゝで、樹と石と咬り着て、丸で生きて居るやうである。平内が刀の棟撃(みねうち)で一度欺して其の気をぬか無(なか)つたなら、無敵齋の首は捻向て平内へ飛着たであらう。平内の頓智も豪(えら)いが、併し人間の執念と言ふものも怖ろしい。
 下僕(しもべ)を呼で首と死骸の始末をさせ、強気(ごうき)の平内一向平気で其夜(よ)は寝た。ところで色々の夢を見る。幾人幾十人を大根や菜ツ葉を切るやうにした是までとは違(ちが)うて、何やら怪しい夢に魘(おそ)はるゝ、我ながら不思議と我を疑ふて、度々起てお里に訝かられたとは妙である。

(百十四)
 何やら合点は往ぬが、無敵齋 軍四郎 助五郎の執念深いのに忌(いや)な気持のして、平内は是までに無い菩提心を起し、此翌日三人の死骸を、密かに長兵衛の寺の源空寺へ葬つた。
 其夕暮に托鉢僧が門に立て、鉦を敲(たゝ)いて念仏を唱へて居るに、平内は之れを呼(よば)しめ、三人の為めに供養をさせようとすると、此僧は辞退して、「わたくしは真の乞食坊主でお経などは存知じませず、迚(とて)もこなた方のやうな御大家のお座敷へ上れるものでは御座りませぬ。賤しい汚れた身で恐れ入りまする」と言ふ。妙な坊主と、平内は好奇心から出て見ると、年頃四十ばかりの実の物凄いやうな大男で、筋骨逞ましく眼の玉据つて、ひと目で天晴な武術者と言ふことが分る。
 仔細あるらしい坊主と、平内は強て呼入れ、経文読誦は兎も角斎(とき)でも振舞ふからと言ふので座敷へ請(しやう)じて、「某は当家の主人(あるじ)平内であるが、見受けるところ御坊は本(もと)武士と察せらるゝ、いかなる訳のあつて、斯く出家せられたか」と尋ねると、「天下に誰れ知らぬもの無い平内様の御眼力恐れ入て御座りまする、いかにもわたくしは武士の端くれ、剣術槍術なども少々は学びましたが、イヤ、血気に任せて余計な罪を作つた祟りで、種々様々の禍に罹り、一念発起の果が斯(こ)んな姿、鬼の念仏とはわたくしの事で御座りませう」と言ふ不思議さ、平内は愈ゝ怪しく思ふて、「はて、妙な事を承はる、お差支へ無くば其発起の次第をお話し下されたい、某も此頃些(ち)と考へることが御座るから」と、やがて斎(とき)を進て燈火(あかり)をつけて、又余儀もなく問ふた。
 平内の真面目な問ひに動かされたか、坊主は珠数を爪繰(つまぐ)りながら、「平内様ともあらう御方(おんかた)からのお尋ねとは恐れ入た事で御座りまする、わたくしの懺悔お聞下され何を秘(かく)しませう、わたくしは肥後熊本の士(さむらひ)で、上月(かうづき)進十郎と申すもの、幼年から好む武術の為め、随分多くの人を悩まし、自分の伎倆(うで)の他人に勝るを鼻にかけて、高慢我慢の果が、喧嘩口論(けんくわこうろん)決闘(はたしあひ)、人を殺すことの面白くなり、自ら請(こ)ふて、人の忌(いや)がる劊手(きりて)を劊受(ひきう)け、打首になる科人は皆わたくしが斬りました、ハイ、二十歳(さい)の頃から昨年の秋の四十歳まで、二十年の長の年月千人に余る首を斬た報いは、怖ろしや妻に祟り子に祟り思ひも寄らぬ非業の最期を遂げまして、わたくしさへも折にふれては怨霊に苦しめられる気味の悪さ、つく/゛\身の罪が怖ろしくなりましたので、暇(いとま)を乞ふて俄かの出家、斯(か)うして乞食坊主になり下り、諸国を行脚して罪障消滅を祈るので御座りまする」と言つて、後は念仏を唱へて居る。
 「ウム」と平内も胸に答へて、「成程御殊勝なことで御座るが、併(しか)し御坊罪あるものゝ其罪に依て斬殺さるゝは当り前、夫れで、人を怨むで其人に祟るなどゝ、実に理屈の分らぬ次第」と言ふを、進十郎坊は、「其御不審、一応は御尤もに伺ひまする、わたくしも若気の血気から左様に存じてこそ二十年も面白がつて劊手(きりて)を致したので御座りまするが、打首にせらるゝ程の悪人、違拗(ねぢけ)た心は息の絶える最期まで改まらず、自分の罪を悟るどころか只もう役人を怨み劊手(きりて)を怨み、此劊手さへ無ければ自分は斬られずに済むものゝやうに思ひ僻むで、斬らるゝ刹那の一念凝(こつ)て、こゝに不思議な作用(はたらき)をなすものと存じられまする。論より證拠、人を多く殺したものに其終りを善くしたものは御座りませぬ」としみ/゛\言ふ。

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ラフカディオ・ハーン『怪談』 Diplomacy(駆け引き)』の原話について
(怪談皿屋敷実録本 粂の平内兵衛と山田浅右衛門の逸話)

 

2017年8月9日水曜日

新撰 皿屋鋪弁疑録 巻之弐 青山主膳更屋敷拝領之事 並同人盗賊改御役之節粂平内兵衛を召抱御事

見覧を希のみ
 宝暦八
  戊寅年陽春 武江隠士 
          馬文耕選

新撰 皿屋鋪弁疑録

巻之弐
 青山主膳更屋敷拝領之事
 並同人盗賊改御役之節粂平内兵衛を召抱御事

然程に番町天樹院殿御悪行日ゝ夜ゝに止事なく
件の竹尾といへる女も終に命をと[り][て]花井か死體を
捨し井戸のうちへいつしよに打込捨給ふ其後寛永の初
天樹院殿薨去なされしかは右御守殿をこぼち玉ひて空
地の更屋敷となる其屋敷に件の井戸これあるに小雨降
夜半になり給へは右の井戸より青く光る日燃立消てはもへ
あかる事度/\なり往来の人是を見て大きにおとろき
後には誰しらぬ者もなく妖怪屋敷といひ傳へ天樹院殿
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御守殿跡化粧のもの住居なりた[り]て牛込の内はん町の
結構なる屋舗なりといへとも誰有て拝領せんと申人も
なかりし[が]段ゝ江戸明地等も少くなりけるに付武家の拝領
屋敷これなきにつきて御旗本衆の内にて三人分に
右屋敷下さ[れ]けれとも彼井戸の有し近所の何れも
頂戴する人なかりけり後秊井戸も潰れて家居
たち込しにしたかひて化粧のさたも遠さかりし[所]
その頃道三河岸を持て居られし御旗本衆屋敷
御用に付召上られ松平肥後守殿下さ[れ]しに付道三
河岸に居られ候御旗本衆へ代地所/\にて下され
其御旗本衆の内に御先手[組]勤められて千五百石

青山主膳といへる人有けるに件の御守殿跡の古井の
埋し近所七百坪程くだされける青山爰を拝領して頓て
普請にとりかゝり[て]成就して親妻等を引具し一家
中不残引越扨又屋敷うち家中用水のため井戸を
[堀]らせけりこの井戸こそ後に菊を殺し入し井戸也
今に菊か井戸と云傳ふ井は是なり誠に如何成因縁にや
[以]前屋敷の有し天樹院殿にてさら屋しきの名をこふ
むり竹尾と花井をころし井戸へ埋め後年
此屋敷之主又も井戸へ入て末世に皿屋敷と名を上し
こそ不思議の因果のなす所なるべし斯て青山主膳は
其頃盗賊改め奉行をこふむり此青山と云人至て
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不仁不義の人にて大酒を好て下をいたはる心なく悪しく
奉行改人かりそめにも不仁の行ひある時は町人百姓なげき
いくばくぞや誠に公義へ対して不忠至極といふへし
されは青山主膳は組中与力同心に急度申付けるは御
奉公随一の事なれは罪人多く召し捕候へと呉ゝ申付る
なり凡天下には罪人無きを以て仁政の所とすべきに
青山殿か申付如何成天盲千万なる事そかし夫ゆへに
組子の人ゝは夜廻り等いたし[明]ては壱人なり共罪人
をとらへ行時は青山殿殊之外機嫌よ[く]酒をのませ我も
楽しみまた壱人もとらへずに縄付をも連ゆかざる
けれは以之外機嫌あしく盗賊火付の多く

有べきに各/\にふ精故とらへ来らず大方夜回りはせず
して宵より休みめされつらん抔と呵りし故組呼は頭の
機嫌にいらんとて後には咎なき者もあやしきものとて
無態に縄かけつれゆくは殊の外悦ひ捕らへそこなひは
少しもくるしからすとの上意をもつて相勤る所
なればとて咎なき者を多く牢内へ入置其者をいろ/\と
せめたゝき是を肴として大酒を好みける也扨其後
浪人ものに久米平内兵衛と云者有今浅草に石像
にして久米平内兵衛像有この者は剣術取手上手
にて日本廻国武者修行せし手業の有もの也
とて左様の者こそ召抱へ置あるへしとて彼平内
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兵衛を召しかゝへて用人格にてさし置けるこの平内は
腕骨達者にて力量勝れ太刀打の手内勝れたれば
御仕置の罪人打首のもの手前好み願ひて切申度由
奉て申ける故に青山大に感し誠に予か家来程有[て停]
勇気の願ひ尤千万也某新身をこのめば其こゝ
ろみの為にも成とて重宝成望の通り以来は死罪の者の
太刀取にせんとて重ねて公義御仕置人の人切いたし役に
この久米平内兵衛を致されせり是は死罪人斬罪人を切る
は非人の役なりしに青山主膳のせつ初て人切といふ
者出来て当御代まて段/\其役これ有近世山田
浅右衛門の役にて名も高かりしそかし根元久米

平内兵衛也青山殿御役之内に平内兵衛は千人塚弐度[建]たり[と]
云千人塚は仕置人の首千人切て其印の塚を供養するとなり
夫を弐度建て其後も数人を切たると也其頃は武家末剛
卒にて大小の神祇組とて男達流行せし頃にて平内兵衛も
大小の神祇組の中に列して辻切抔も夥敷(オビタゝシク)人を殺す
事を何ともおもはぬ不敵ものなり
 近来山田浅右衛門多くの人をきりて千人塚を麻布善福寺へ
 建たり今の世の人の見る所明ら[け]し今は古人也この
 山田浅右衛門も死にきはりんじうの節山田か枕もとへ多くの
 首あらわれ出しと云何程公儀の役なりと云共むくひ
 なきにしもあらず
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此平内兵衛或時大勢の死罪人有し時牢屋にて打首する時罪
人共居并て申は我今首をきらるゝに向ふの草へ喰付て[み]せんと
訇り有頓て平内切しに案の如く草へ食付て無念の程をあらはす
今壱人の云く我は向ふの大石へ食付んと云果して切に左の如くなす
今壱人は恐しくも切らは人切の粂殿の顔へ喰付んと云平内も
気味悪く此者一念にて如何にも喰付べし然れ共其一云に恐れ
止されもせず人ゝのみる所も有て平内は思案して頓て罪人に向ひ己れ
今こそさいごなれかくごせよと申けれは如何にも心得たり汝が
顔へ喰付んと一念こらせし所を出しぬいて刀のむねにて
壱ツ打ければ件の罪人是はとふりむく所をとたんの
拍子に向ふ気をぬひて切ける由へ何の苦もなく首打

落しけり此段平内が工夫の第一なりとかやケ様にいたさずば此者一念
にて顔へ喰付へくを平内か気てん働其道のかしこき事不思義
なりと世上にて沙汰しけると也主人主膳是を聞ていよ/\粂を
寵愛しけると也平内一生の悪事おびたたしく終に病死して
彼か一子の夢にひたとみへて我一生の悪事故未来の呵嘖
ひまもなく然て某か業のめつするよふに我を人立多所に其
罪をさらし生る折からの姿を石像に刻みて万億の人往来に
さらし是然らは罪もめつし未来の為にもならんと度/\
夢中に来りし故其倅これを曽みて石像をきざませ人立
の場所なれはとて浅草観音境内に是を立[ゝ]置わざ/\ぬれ
ぼとけの如く露霜にうたせて未来の罪を免とせしに
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後には何者か是を尊敬して根元の子細弁ずして今は呉服の
茶屋とも此佛あらたなりとて大かた何にても成就するとて
信仰の余り祠を建安置しけり誠におかしき人心哉久米が
倅も夢亡像をまことゝして親の悪名を末世に知らせんと
如何にするは子は親のためにかくす直き事其中に
ありといふ聖人の教語をしらざるふ孝とみへたり
其父不義なればその子暦然の道理なるへし
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ラフカディオ・ハーン『怪談』 Diplomacy(駆け引き)』の原話について
(怪談皿屋敷実録本 粂の平内兵衛と山田浅右衛門の逸話)