2014年6月20日金曜日

黒田如水伝 第三章 官兵衛の幽囚 (4)

然るに職隆父子の誠忠は、唯皇天后土の知るのみにして、信長は却て官兵衛を疑ひ、彼が有岡城より還らざるは、全く荒木村重に同心せしものと即断して、憤怒の余り、人質・松壽を殺さんとす、松壽は秀吉播州下向の後、竹中半兵衛が監視の下に、長濱の城内に在りたれば、信長乃ち半兵衛を招き、「汝速に長濱に赴き、叛逆人官兵衛の人質・松壽を殺し来れ」と命じたり、

然れども半兵衛は、克く官兵衛の本心を識るものなれば、信長に説きて曰く、官兵衛の還らざるは、必らず深き仔細ぞあらん、官兵衛は元来忠義の志深く、且つ才智非凡なる者なれば、強き味方を捨てゝ、弱き敵に与みするものならんや、然るに今其の実否をも究めず、軽々しく人質を殺し給はゞ、是れ官兵衛父子を駆つて、敵に投ぜしむるものなり、彼等の一族、若し恨みを含みて、敵軍に投ぜば、中国征伐も容易に行はれまじと、理を尽して弁疏したれども、信長の憤怒激しく、更に聴き入れざれば、半兵衛も今は力及ばず、已むなく命を奉じて、長濱に赴く、嗚呼松壽の生命は、危機一髪、宛も風前の燈に似たり、

然るに半兵衛は慮る所あり、窃かに松壽を拉し去て、己れの領地・美濃国・不破郡に至り、岩手の奥なる菩提の居城に匿し置きたり、而して信長は勿論、世人も亦松壽は、竹中半兵衛の刃に下に、亡き人となりたるものと認めたり、此の禍福変転の消息は、父子祖孫の骨肉三人、各々参商の天を隔つるに依り、祖父なる職隆も、又父なる官兵衛も、夢にだも之を知らず、松壽独りは、俄かに美濃の山奥に拉し去らるゝを見て、其の子供心に、窃かに奇異の念を懐きたるのみ

偖信長は、松壽を殺すべしと命じたる後に、自ら軍勢を統率して、荒木村重誅伐の為め、十一月摂津に下りて、有岡城を囲む、然れども村重・死を決して、防戦したれば、容易く落城すべき模様なければ、信長乃ち長陣(ながぢん)の軍略を定めて、各所に城砦を築き、諸将に命じて、堅く之を守り、妄りに進撃すべからずと戒めて、一先づ安土に帰りたり、是れ天正六年十二月の事なりき

今・官兵衛が幽囚せられたる獄舎は、有岡城の西北の隅にありて、其の後ろには、水底深き溜池あり、又其の三方は、竹藪を以て囲まれたれば、太陽の光りを見ること能はず、土地陰鬱にして、湿気常に膚を襲ひ、さながら今生よりの地獄なりき、然るに?に官兵衛をして、一点の光明を得て、絶望せしめざらしめたるものあり、是れ何ぞや、即ち小寺の附人、母里太兵衛(後ち但馬)、栗山善助(後ち四郎右衛門・備後)及び家臣・井上九郎二郎(後ち九郎右衛門・周防)が、此の間に尽せし苦忠と、伊丹兵庫頭の党類・加藤又左衛門が、懇切なる情誼是れなり、今暫く?に其の仔細を語らん

母里太兵衛・栗山善助・井上九郎二郎の三人は、官兵衛の生死如何を探知せんが為め、商人の姿に身を窶(やつ)し、姫路より潜る/゛\有岡に赴きて、其の探索に奔走せり、栗山善助は、伊丹の銀屋(しろがねや)(金銀細工商)に、新七と云ふ知人あれば、先づ彼に其の内意を漏して相談したり、新七元来義侠心に富みたる者なれば、善助を我が家に匿し置きて、陰に有岡城内の状況を窺ひしに、官兵衛が幽囚せられたる獄舎の後ろに、溜池あることを見出したり、然れども昼間は警戒厳にして、容易に近くこと能はざれば、暗夜に乗じ善助を伴ひ、窃かに城内に忍び込み、善助をして溜池を泳ぎ渡りて、獄舎に近づき、官兵衛に面会して、姫路の情況より、天下の形勢に至るまで、詳かに密告することを得せしめたり、其の後・新七は番兵に賄賂を與へ、善助をして屡々官兵衛を、獄舎に訪ふことを得せしめたり、又摂津の豪族・伊丹兵庫頭の幕下に、加藤又左衛門と云ふ者ありしが、兵庫頭と共に、有岡城を守り、官兵衛の獄中に呻吟するを見て、坐ろに惻隠の心を起し、懇ろに待遇したれば、官兵衛大に其の厚誼に感じ、一日・又左衛門に向ひ
我れ他日恙なく本国に帰ることを得ば、貴方の男子を一人、我が所に遣はされよ、我れ松壽が弟の如く愛育すべし(黒田家譜)
と堅く約束したり

今や官兵衛は、栗山等の苦忠と、銀屋新七の義侠に依て、時々天下の形勢を、朧げながら聞くことを得て、天の猶ほ未だ彼れを捨てざるを喜びたれども、何れの日を以て、此の絏紲の苦痛を脱し、再び天日を拝するを得べきやに思ひ到らば、暗涙の為めに衣を濡すを知らざりしならん

明くれば天正七年三月、信長再び摂津に出馬し、一方に於ては、有岡城の周囲に城砦を増築し、城内の糧食尽くるを待ち、大挙して之を攻め落さんと計画し、又一方に於ては、信忠に命じて播磨に下り、三木城の周囲に、六ケ所の城砦を築きて、遠攻めの軍略を施し、又小寺政職が籠りたる御着の城下に火を放ち、民家を焼き払ひて、其の糧道を杜絶せしめたり

今や蓋世の雄図を懐きたる官兵衛は、有岡城内の獄舎に呻吟し、坐臥進退も自由ならず、陰鬱たる篁叢の下に、空しく時運の回転するを待ちつゝありしが、不思議や一日、藤の嫩蔓(わかづる)、獄舎の柵を伝ひ攀て、新芽を吹出し、頓て紫の花・先出て、官兵衛に向つて、未来の瑞祥を告ぐるに似たり(筑前古老の話)、官兵衛窃かに以為らく、是れ天の我を啓き給ふ吉兆ならん、何れ遠からず、此の獄舎を出でゝ、我が胸中に鬱結する経綸も、亦此の藤花の如く、再び世に咲き出るの期あるべしと、大に気を励し、勇を鼓して、一日三秋の懐ひを為せり

梅雨の空(そら)もいつしか過ぎて、早や已に夏とはなれり、肉痩せ骨落ちて、残り多からぬ英雄の血も、亦蚊軍の襲来に依て、吸ひ取られたれば、顔色益々憔悴せり、時は是れ六月十三日、官兵衛が、管鮑相許せる竹中半兵衛は、三木の陣中に病死す、
嗚呼死すべき官兵衛は、未だ死せずして、死すまじかるべき半兵衛は、已に死亡せり、斯くて三伏の苦熱も漸く去り、哀れ身に沁む秋も老いて、官兵衛は将さに獄窓の下に、一年を経過せんとす、而して彼れが囚はれたる有岡城の風雲は如何




参商(しんしょう) 参星はオリオン座の三つ星、商星は蠍座のアンタレス。両者は同時に天に現れる事はない。
篁叢(たかむら)
頓て(やが)て
経綸(けいりん) 国家を治める方策
管鮑(かんぽう) 互いにいく理解し合っている友人。 管仲と、鮑叔牙


黒田如水伝
クロダ ジョスイ デン
金子堅太郎 著
博文館 1916


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