2014年6月19日木曜日

黒田如水伝 第三章 官兵衛の幽囚 (3)


      起請文之事

  今度官兵衛不慮に上邊御滞留、各難儀[是過不]候、然時は当城誰に御[覚悟無]御座候とも、此衆之儀は、御本丸無二に馳走[申可]候、若此旨[偽申於者、大日本国中大小神祇、八幡大菩薩愛宕山、殊に氏神御罸[蒙給可]候也、仍起請文如件
  天正六年十一月五日

母里與三兵衛
喜多村六兵衛勝吉
長田三助助次
衣笠久左衛門景
喜多村甚左衛門
藤田甚兵衛
小川與三左衛門
三原右助
宮田治兵衛
栗山善助
後藤右衛門
母里太兵衛

      御本丸

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小寺家附人の誓書



此の誓文中、「[此]度官兵衛不慮」と認めて、君臣の敬称を用ひざる所以は、母里以下十一人は、天文十四年、政職より職隆の附人として、姫路に遣はされたる、小寺家の直参(ぢきさん)なればなり、然るに其の連判者の一人、喜多村甚左衛門は、元来職隆の家臣なれば、小寺家の直参とは、其の身分も違ふにより、此の誓紙に署名することを固辞したれども、誓紙呈出の発議者なれば、連判者の勧めに従ひ、政職の附人と共に、玆に連判したるものなり、又市村吉右衛門・尾上右京亮等十二人の附人は、此の事を聞き、連判に加はらんことを申込みたれども、誓紙は既に本丸(職隆の住居)に差出したる後なれば、別に普通の奉書紙に、同一の誓文を認め、署名書判して、母里以下の十一人に示したるに依り、母里等も亦再び之に署名し、都合二十四人連判して、十一月七日附を以て、職隆に差出したり

又職隆の家臣・久野四兵衛等七人は、別に地蔵菩薩の立像を摺り出せる誓紙(竪一尺幅五寸)三枚を、竪に継ぎ合せ、其の裏面に左の誓文を認め、署名書判して職隆に上りて、二心なき旨を誓約せり


      天罸起請文之事

一  今度孝隆様、摂州[遺恨有依]、有岡に[御逗留成被候]、然処此面々[十方失候]、[如何様儀有雖]、松寿様長濱に御座候上は、[疎略及不]勿論御奉公[仕可]候事

一  唯今松寿様、御若年事候間、濃州様休夢様兵庫様、万事御心中次第に[仕可]事

一  我等式と[申乍]、御城気遣用心之儀、[疎意有可不]候事

右旨 背者

大日本国中大小神祇、八幡大菩薩春日大明神、愛宕山大地蔵権現、別而者氏神[蒙御罸罷可者也]、仍起請状如件

  天正六年十一月吉日

久野四兵衛
大野権右衛門尉
井上彌太郎
首藤太郎兵衛
吉田七郎兵衛
尾上與七
桐山孫兵衛

      御上様 
         参


此の如く小寺家の附人、及び職隆の家臣等が、誓紙を差出したる後、職隆の家臣・小河源太郎・宮内味助等十二人も、亦普通の奉書紙に、誓文を認め、署名書判し、且つ其の書判の上に血判を押して、小川與三左衛門に差出したり、今此の誓紙の文体を見るに、小河源太郎等十二人は、前二通の誓文の如く、「御本丸」、又は「御上様」と、宛名を書して、直接職隆に呈上せず、単に「馬の衆同前相定候」と記して、小寺家の附人小[河]與三左衛門宛に、差出したるを見れば、此等十二人の身分は、「馬廻り組」(黒田家家臣の格式)以下にして、直接に職隆に上書すること能はざる身分の者ならん歟、其の誓文は左の如し


      條々

一  何と成共 上様次第候
一  小美様休夢様御意背間敷
一  馬之衆同前相定候

   付り何事も[仰付被可]候

  若此内曲事候者、此衆より堅[成敗加可]候

  右之條々[相違に於]、愛宕山八幡大菩薩、摩利支天春日大明神、其外日本大小神祇
  別而氏神之[御罸蒙]、永[弓矢之道捨可]候、仍状如件

   于時天正六年霜月七日

小河源太郎住
宮内味助重
東山助次郎通
津田藤五郎識
宮崎與太郎重吉
河原理兵衛直
鳩岡與次吉次
桂藤三郎友長
山元彌助雲
倉與四郎長
本所新六通次
栗山與三郎


      小川與三左衛門殿
               参

黒田家家臣の誓書の血判
黒田公爵家所蔵
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此の三通の誓紙は、今現に黒田公爵家に保存せられたれば、余一日之を一見せしが、実に三百五十年前の昔を追想するに堪へたり、殊に最後の誓紙にある血判の如きは少しく変色したれども、血痕今尚ほ忠臣の赤誠を留め、坐ろに感慨の情を催さしむ、嗚呼此の四十三人の連判者は職隆と心を一にし力を合せ、其の忠勇義烈は千載の下、永く汗青を照らして、忠臣の亀鑑たり



仍(よって)
如件(くだんのごとし)
坐ろ(そぞ)ろ



黒田如水伝
クロダ ジョスイ デン
金子堅太郎 著
博文館 1916


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